マラソンで「人類の壁」と言われていた2時間切りを、ケニアのサウェ選手が達成しました。ゴール時にも余裕を感じさせる走りは驚愕でした。一方で、人型ロボットがハーフマラソンで人間の世界記録を大きく上回る時代にもなっています。人間の努力による進化と、テクノロジーによる飛躍。そもそも前提条件が異なる中で、何をもって「公平」と言えるのか、ふと考えました。 

スポーツは、同じルールのもとで競うという意味での平等を基礎としています。しかし実際には、育った環境や身体的特徴によって有利・不利は避けられず、すべての条件を完全に揃えることは現実的ではありません。そのため競技によっては階級分けなどの仕組みを取り入れ、「結果としての公平」に近づける工夫がなされていると理解しています。接戦であるほど競技は面白く、多くの人にとって納得感も高まります。こうした前提に立てば、スポーツは「条件」を揃えることではなく、「ルール」を揃えることで成立していると言えるのではないでしょうか。 

一方で、スポーツのように明確なルールのもとで競う世界だけでなく、現実の社会に目を向けると、近年は国ごとの思惑が強まり、これまでのような一貫した秩序やルールが揺らいでいると感じる場面が増えました。

ビジネスの世界においても、コンプライアンスや競争ルールといった前提は共有されているものの、他者より優れた成果を出した企業や個人がより多くの利益や機会を得ることで、差が広がっていきます。個人の評価も同様に、AIなどを活用して自らのキャパシティを拡張できるかどうかで、大きな差が生まれます。同じツールにアクセスできる環境があっても、それをどう使い、どう組み合わせ、どこに集中するかによって成果は大きく変わる。見た目には平等であっても、実際には格差が拡大しやすい構造になっています。 

現実の世界では、「不公平だ」と感じるだけでは状況は変わりません。すべての条件を揃えることも非現実的です。だからこそ重要なのは、与えられたルール・変化していくルールの中で、自分なりの戦い方を見つけ、どう適応していくかという視点なのだと思います。 

さて、私はハーフマラソン2時間切りが精一杯です。能力はすぐには変わりませんし、結局は「練習あるのみ」ですが、技術を活用してフォームを分析し改善するといった工夫はできます。そうした小さな最適化の積み重ねが、この世界での自分なりの「戦い方」なのでしょう。