もうすぐ、私の「実家」がなくなります。両親が高齢者向け住宅へ引っ越すことになったのです。安心して暮らせる場所への移動であり、私自身が提案したことでもあります。それでも、いざ現実になると、少し胸がぎゅっと締めつけられるような気持ちになります。

思えば昔、祖父母が長年住んでいた大阪・難波の家を引き払って、私の実家近くのマンションに越してきたときも、どこか心細い思いを抱いたものでした。幼いころから何度も訪れ、ときには住み込むように過ごした家。その記憶があまりに濃く、手放すことに寂しさを覚えたのです。今回は、そのとき以上に、心にぽっかりと穴が空いたような感覚があります。子どもの頃の思い出、親との何気ない会話、年末年始の風景。そうした時間ごと、何かが静かに幕を下ろしていくように感じています。

私にとっては巣立った家でも、両親にとっては長年暮らしてきた生活の場。きっと、私以上に複雑な思いを抱えていることでしょう。だからこそ、これからの新しい住まいで、二人が元気に、楽しく過ごしていけるよう、できる限り支え、見守っていきたいと思います。

「帰省」とは何なのでしょうか。帰る場所があるというだけで、人は安心するものです。それは単に地理的な移動ではなく、心の拠り所に身を置くこと、自分の過去とつながる瞬間だったのかもしれません。育ててくれた人たちがいて、自分のルーツが確かに存在する場所。それが「帰省」がもたらしてくれる安心感の正体なのでしょう。

これからは、「家」に帰るのではなく、「親のいる場所」に会いに行くことになります。人に会いに帰る。そうして新しい住まいで過ごす時間が、また新しい思い出として積み重なっていくのだと思います。

実家という場所がなくなっても、記憶の中の風景は変わらずに残り続ける。そして、家というかたちが変わっても、家族のつながりは変わらない。多くの人がいつか迎える「実家がなくなる日」。きっと、それぞれの方法で心を整え、新しい時間を築いていっているのでしょう。私も、これからも、折に触れて、「帰省」したいと思います。家ではなく、人のぬくもりに。