◆もうすぐ誕生日だ。と、いうことを運転免許証の更新通知書を受け取って知った。更新のため最寄りの警察署に出向いた。以前と比べるとだいぶ手続きが簡素化されていた。いちばんの変化は、申請用紙の作成に手間がかからなくなったことだ。手持ちの免許証をタッチパネル式の機械に読み取らせると、申請用紙を自動で作成してくれる。国際免許をとったときも同様だった。代書屋というビジネスが廃れていくのも無理はない。

◆免許証の更新手続きが以前に比べて楽になったとはいえ、講習を受けさせられるのにはやはり閉口する。詳しく調べたわけではないが、こんな制度は日本だけだろう。講習を含む免許証の更新業務の一部は交通安全協会(警察の天下り先)が警察から業務委託されておこなっている。つまりは彼らの仕事をつくるためである。

◆講習ではまずビデオを観させられる。ドライブレコーダーの事故映像をもとに危険を察知することが事故回避につながるという内容だった。どこに事故につながる危険が隠れているかをタブレットの映像を観ながら指でタップしていく危険予測トレーニングというものも紹介されていた。事故を起こしていない優良ドライバーと事故違反者に分かれてテストをおこなうと、優良ドライバーのほうが危険予測の成績が有意に高いという結果になった。ハンドルを切ってよける、ブレーキを踏む、といった物理的反応は差が出ない。事故を回避できるか否かは危険予測の精度の差による。

◆これは投資についても当てはまる。実際に危機的状況になってからでは、できることは限られている。そうなる前に、危機につながるリスクの芽を見つけ出せるか。異臭を嗅ぎ取ることができるか。そこで差がつくのである。前回の大槻さんの「アナリスト夜話」はじめ、最近、危機の萌芽に対して警鐘を鳴らす論調が増えている。ここからはいつでもブレーキを踏めるよう、足を浮かせ気味で走る局面に入った気がする。退屈な安全運転講習も危機管理の重要性を再度思い起こさせてくれたとすれば、時間と費用の無駄ではなかった、と思うことにしようか。