◆小高い丘に向かって突っ込むかと思われた機体が大きく傾きながら旋回すると、林立したビル群の屋上をかすめるようにして滑走路に降りていく。昔の香港・啓徳空港へのアプローチ、通称「香港カーブ」だ。98年に現在の国際空港ができるまで何度も経験したが毎回心臓が飛び出すようなスリルを味わった。90年代、僕はアジア株のファンドマネージャーとしてアジアを飛び回っていた。いつも、まず香港に行った。香港はアジアのゲートウェイ(玄関)だった。

◆一昨日7月1日、香港が中国に返還されて20年を迎えた。多くのメディアで報じられたが、明るい祝賀ムードの論調はひとつとしてなかった。この20年で中国がめざましい成長を遂げ、香港の経済的な位置づけが薄らいでいる。香港はアジアのゲートウェイと上述したが、「アジアの玄関」という意味ではシンガポールがハブの座にある。シンガポールと競ってきたアジアの金融センターの覇権争いにも上海という強力なライバルが「身内」から出てきた。

◆習近平・中国国家主席が主席就任以来、初めて香港を訪問した。前例のない厳戒下、習氏訪問に先立つ28日には抗議デモを主催した民主化運動指導者の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏らが逮捕された。一国二制度という「口約束」の危うさを見て見ぬふりがいつまで続けられるだろう。返還から20年経った。今から20年後の香港はどうなっているだろう。

◆もうひとつの20周年がある。97年7月2日、投機筋のバーツ売りに耐え切れず、タイが通貨の切り下げを行った。アジア通貨危機の勃発である。通貨切り下げはアジア各国にまたたくまに伝播していった。そうしたなか香港だけはドルペッグを維持することができた。香港の為替システムは単なるドルペッグ制ではなく、米ドルの裏付けがあるカレンシーボード制度。「金本位制」ならぬ「ドル本位制」だ。実際にはいくつもの政策が奏功した結果だが、あえて端的に言えば、「米ドルに守られた」と言える。

◆通貨システムは守ったが、その代り、いくつもの犠牲を払った。そして今も犠牲を払い続けている。為替をドルにペッグさせるということは香港自身の経済情勢に合わせた金融政策を放棄するということだ。そのため至るところで弊害が生じる。最たるものはインフレの抑制が効かない。不動産価格は高騰しニューヨークやロンドンをはるかに超える。生活費の上昇に賃金が追い付かない。ブルームバーグ・ニュースは「もはや富豪でなければ無理か-香港での生活、かつてないほど厳しく」という記事を掲載した。「超高層ビルが立ち並び、きらびやかな高級ブティックが軒を連ねるこの都市は恐らく、先進国・地域における所得不均衡の縮図」であると。

◆一国二制度という矛盾。米国の通貨に支えられた中国の通貨という矛盾。それゆえの弊害。超富裕層と貧困層。際立つ格差社会。古いものと新しいもの。西洋的なものと東洋的なもの。香港はそもそも「不均衡」「二項対立」のなか、微妙なバランスのうえに成り立ってきた。矛盾だらけのなかで生きてきた。

◆啓徳空港へのアプローチ、「香港カーブ」は、滑走路でのオーバーランや「尻もち」などはあったが、大事故は一度も起きていない。歴戦のパイロットが微妙なバランスを巧みにコントロールしてきたのである。いかに難しくても必要に迫られればバランスをとる。それが香港の本質だろう。今週末、半年ぶりに香港に行く。香港の未来に想いを馳せながら、雑踏を歩こう。ペニンシュラホテル近くの昔ながらの店で雲呑麺を食べるのが恒例行事だ。