◆「春の愁い」という言葉がある。春なのになぜかしら物憂い気持ちになることをいう。「春愁」は季語にもなっている。

春愁のかぎりを躑躅(つつじ)燃えにけり (秋桜子)

本来「春愁」とはわけもなく物悲しくなるものだが最近の「春愁」は理由がはっきりしている。最近(とは言ってもずいぶんと前から)春が憂鬱、というひとは例外なく花粉症のひとだ。花粉症のために春が嫌い、などと言ったら震災直後は非難轟々だったことだろう。

◆東日本大震災から4年。世の中の雰囲気は様変わりした。当時は日本中が自粛ムードに包まれ、花見や歓送迎会などは中止された。テレビからは企業の コマーシャルが消え、街中からはネオンライトが消えた。誰もが口を閉ざした。仕方なかった。喪に服すとは、そういうことだ。別な意味で口を閉ざしたひとた ちもいた。電力株のアナリストである。全員が投資判断を「Not Rated」、つまり「評価不能」としたのである。いろいろな事情があっただろう。それも仕方なかったことである。

◆そのなかで、ただひとり、文字通り世界中でただひとり、僕だけは電力株の売り推奨レポートを出した。電力株はもはや以前の電力株ではない。値段が あるうちにすべて売却し他の高配当利回り株に乗り換えるべきだと主張した。冷静に考えれば当然のことであった。但し、当時は冷静な判断などできない状況 だった。だからこそ、僕はレポートを書いたのである。

◆レポートに対する反響の大きさは想像を絶するものだった。誹謗中傷、罵詈雑言、恫喝まであった。「震災で儲けようとするなんて」「この人でなし」 「冷血漢」「苦しんでいるひとの気持ちを考えないのか」「福島のことを悪く言うな」etc. そうしたネガティブな反響を取り上げて、またレポートを書いた。

「未曾有の大災害がもたらした惨状を目にして、心を痛めない者はいない。被災地・被災者を思うとき、愁傷と同情の念を抱かない者もいない。しかし、 誤解を恐れずに敢えて言えば、被災者を気の毒に思う心と、投資を行うことは別物である。」(ストラテジーレポート「感情と相場」)そのレポートの最後はこ う結んだ。長い引用になるが、こういう機会である。どうかご容赦いただきたい。

「みんなが、それぞれできることをしようというムードになった。ミュージシャンは自粛でとりやめになったコンサートを再開して演奏をする。スポーツ 選手はひたむきなプレーで試合に臨む。特別なことができない普通の人は普通の生活を普通に送る。それが日本経済を回すことだ。それが被災地の復興につなが る。そういう思いで私たちは震災後の100日余りを生きてきたのではなかったか。だから、筆者は筆者にできることをする。ストラテジストとして市場を分析 し、投資アイデアを提供する。ひとりでも多くの投資家の利益獲得に貢献したい。それは日本経済全体からみれば、ほんの微々たる経済行為かもしれない。しか し、そうした小さな営みの積み重ねが日本の株式市場、ひいては日本経済の活性化につながると信じている。そして、それが被災地の復興を支えるのだと強く思 う。繰り返す。被災地・被災者を思うとき、心を痛めない者は誰ひとりとしていない。そして一刻も早い復興と再生を願わない者もいないだろう。そのために、 それぞれが自分にできることをしよう。筆者はストラテジー・レポートを書く。投資家のみなさん - あなたができることは何ですか?」

◆池澤夏樹著『春を恨んだりしない』は東日本大震災を巡る思索の書である。<深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け>という歌を引いた あとの結語が圧巻である。「来年の春、我々はまた桜に話し掛けるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲 いてもいいと」

◆街路樹の梢を見上げると小さな蕾がぎっしりと枝につき春を待っている。桜はあと数週間のうちに一斉に満開を迎えるだろう。僕は樹々にささやいた。 今はもう明るい色で咲いていいのだと。明るい色で咲いてほしいのだと。それが東北の、日本のためになるのだからと。もう誰も春を恨んだりしない。花粉症の ひとを除いては。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆