◆国立新美術館で開催されているルノワール展に行った。今回、初来日の「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」をはじめ「ダンス」「ピアノを弾く少女たち」「浴女たち」などルノワールの代表作品が豊富に展示されている。そのなかにあって、ルノワールのデッサンに焦点を当てたコーナーが興味深かった。印象派といえば目にしたものを素早いタッチで描くという技法が一般的だが、ルノワールはデッサンにも熱心に取り組み地道な修練をおろそかにしなかった。

◆「結局のところ、私は自分の手で働いているよ。だから労働者さ。絵の労働者だね」という言葉を残したルノワールは13歳で絵付け職人の見習いとして磁器工場に入り、数年間を過ごしている。しかし、伝統的な磁器絵付けの世界にも産業革命や機械化の波が押し寄せ、ルノワールは絵付け職人としての仕事を失うこととなる。失業したルノワールは、そこから絵の道を志したのである。皮肉なものだ。機械が労働者の仕事を奪わなかったら、ルノワールという天才画家は生まれていなかった。近代社会の革新的な技術だけでなく、歴史に残る優れた芸術もまた産業革命によって生み出されたのである。

◆セカンド・マシン・エイジとか第4次産業革命とか言われる現代にあって、人間と機械との競争が議論を呼んでいる。18世紀後半に起きた産業革命では、機械化・工業化が人間の単純労働を奪ったが、今起きている「革命」では、AI(人工知能)の進化によって、人間によるかなり高度な仕事まで機械に奪われるのではないかという危惧がある。機械に奪われないような仕事をするにはどうすればよいか?答えはルノワールの言葉にある。「結局のところ、自分の手で働く」ということだ。

◆例えば、昔は株価チャートは手描きだった。今はクイックやブルームバーグを叩けば瞬時にチャートが表示される。だけど、画面に映されたチャートを「見る」のと、自ら手描きしたチャートを「観る」のは違う。機械はきれに株価をなぞって絵を描いてくれるだろう。しかし、そこに<洞察>はない。ひとが「手で働く」というのは、単なる「手作業」ではない。意志をもって自らの手を動かすということだ。それが機械による単純な「線描作業」と人間の「デッサン」の違いである。機械は形を写し取る。人間の「デッサン」は、眼から脳へ、脳から手へ、そしてまた眼へと情報のキャッチボールを繰り返しながら、そこに<意味>を写し取るのである。

 

(今回のコラムは広木隆のブログ「Dance with Market」からの転載です。ご興味があればぜひ「Dance with Market」もご覧ください)