◆今度の日曜日、6月19日は「パスカルの定理」などで有名な数学者ブレーズ・パスカルの誕生日。パスカルは10歳にもならない頃に、三角形の内角の和が二直角であることを証明してみせたというから早熟の天才だった。そんなパスカルだが、ある時人生を変えるような神秘的な体験をしたことをきっかけに数学の研究をやめて、キリスト教の思索に没頭するようになった。パスカルは神を信じるか信じないかは一種の賭けだと考えた。人は神が存在「する」「しない」のどちらにも賭けられる。そして賭けをするなら、勝ったときに得るものと負けたときに失うものを考えるべきだというのである。

◆例えば、神が存在する方に賭けて、善行に徹した人生を送ったとしよう。賭けに勝った場合、あなたはあの世で永遠の幸福を手に入れられる。賭けに負けた場合は?死んだあとには何も起こらない。神様なんていないのだから。一方、神が存在しない方に賭けて自堕落で不道徳な生き方をしたとしよう。勝った場合、神様なんていないのだから死んだあとにはやっぱり何も起こらない。しかし、賭けに負けた場合は地獄に落ちて永遠の罰を受けることになる。そう考えれば、どちらを選ぶかは自明であるとパスカルは説いた。期待値がプラスな方を選ぶのだ。このあたりの考え方は、さすが確率論の創始者のひとりだけのことはある。

◆今週、米国でFOMC(連邦公開市場委員会)が開かれる。今回のFOMCでFRBが利上げに踏み切る確率はほぼないと見られている。市場関係者の大半が「利上げ見送り」との予想だ。このような状況で、市場の予想に従って「利上げ見送り」に賭けたとしよう。賭けに勝った場合、実際に利上げが見送られても市場では何も起こらないだろう。事前の予想通りなら「織り込み済み」というわけだ。しかし、万が一、賭けに負けた場合、すなわち予想に反して利上げが行われたら?少なくとも初期反応としては相応なショックが走るだろう。そう考えれば、どのような投資行動をとるべきかは自明だ。期待値がプラスになるようなヘッジポジションを組むのである。賭けをするなら、勝ったときに得るものと負けたときに失うものを考えよう。

◆「アナタハ、神ヲ、信ジマスカ?」 おかしなイントネーションの問いかけに振り返ると、勧誘のパンフレットらしきものを持った外国人の男性が立っていた。僕は、「はい、信じます」と答えた。
「失礼ですが、あなたのご職業は?」
「証券会社でストラテジストをしています」
「ストラテジスト?聞き慣れないお仕事ですね」
「当たりもしない株の予想をして、お客に<きったはった>を勧める商売です」
「なんだか、いかがわしそうな仕事ですね。ギャンブルと違うのですか?」
「まあ、似たようなものです」
「なんと! それで、あなたは本当に神を信じているのですか?」
「ええ、もちろん。この商売、神様でも信じなけりゃ、やってられませんから」