◆昨日の小欄で引用したナシーム・ニコラス・タレブ著『まぐれ』は僕の愛読書のひとつ。「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」という副題の通り、偶然性と人間心理の関係を様々なエピソードを交えて語る名著である。タレブはオプションに特化したヘッジファンドのトレーダーであり不確実性科学を教える大学教授。つまり、確率論の専門家である。そんなタレブからすれば、確率というものを理解しない多くの市場参加者は嘲笑の的でしかない。ところが、である。タレブ自身が「ギャンブラーの験担ぎ(ゲンかつぎ)」をたくさんしているのだ。

◆いつもと違った場所でタクシーを降りたら儲かったので次からも同じ場所で降りる。ツイていた日のネクタイは次の日も変えない。収入が増え始めたのは、近視になって眼鏡をかけ始めたころ。常に眼鏡をかける必要はなかったが、いつも鼻に乗せている。オフィスでマーラーをかけていたらその年のパフォーマンスは悪かった。それからはマーラーが嫌いになった...。この本に出てくる「迷信深く確率を理解しない非合理的なひと」というのは、とりもなおさずタレブ自身のことなのだ。本当のユーモアというものは自分自身を笑いのネタにする。タレブの著書が皮肉に満ちていても、どこか憎めないのは、こうしたユーモア精神が根底にあるからだろう。

◆マネックスのオフィスには神棚がある。松本大が拝んでいるのだ。彼はお守りも肌身離さず身につけている。別に信心深さや験担ぎからやっているわけではない。自分は小さい存在だということを忘れないように、毎朝、神棚に手を合わせているのだという。思いあがらないこと。常に自分の身の丈を知ること。それが肝要なことなのだ、と思う。相場を張る場合においても。企業を経営する立場にあっても。

◆僕には神棚もお守りも必要ない。僕は合理的な人間だ。迷信も信じないし、験担ぎもしない。え?昨日の『新潮流』が第41回だったから、今日は第42回ではないかって?とんでもない。「42」なんて「死に」だし男の厄年、本厄だ。そんな縁起の悪い数字は使えないよ!

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆