週末に或る処に寄ったら、その場所には何度も何度も行ったことがあるのに今まで意識したことがなかったことに気付きました。菩提樹があったのです。あぁ菩提樹か。お釈迦様が、その下で悟りを開いたとされる菩提樹です。もしかしたら以前にも意識の端っこの方で、菩提樹がある事を認識したことがあったかも知れませんが、憶えていません。しかし明らかに初めて、その近くまで行き、樹を眺めました。

すると老夫婦が、樹の周りを丁寧に地面を見ながら何かを探しているようでした。一周し、また一周し、丁寧に丁寧に何かを探しているのですが、見つけられないように見受けました。私はあまり見知らぬ人に話しかけないのですが、この時ばかりは「何を探されているのですか?」と尋ねました。おじいさんは顔を上げ、菩提樹の実を探しているのだと云いました。地面に落ちている菩提樹の実を拾って持っていると、願いが叶うのだと。

おじいさんの目はちょっと白く濁っていたし、眼鏡は極端に強くて歪んで見えて、かつ視線は左右に離れていました。そしておじいさんは願い事が叶った例を説明してくれたのですが、何を云われているのか聞き取れませんでした。おじいさんとおばあさんは、来るのが遅かったかなぁ、今年はないねぇ、と云ってました。

しかし私が探してみると、ひとつ発見しました。おじいさんの掌に載せると、あぁこれだと云いました。その実は小さかったのですが、もう少し私が探すともっと大きいのがいくらでも落ちていました。そしておじいさんとおばあさんに教えてあげました。一旦菩提樹から離れて、暫くしてからまた戻ってみると、樹の下にあるだけでなく、枝にも無数の実がなっているのに初めて気が付きました。

老夫婦は、探し慣れている筈なのに、どうして見つからなかったのだろう?私たちに菩提樹の実のことを教えてくれるために、敢えて見付けないで樹の周りを回っていたのだろうか?そして見えていなかったものが見えてくるとはどうゆうことだろうか?目の前にあるのに見えてないことって、一杯あるのでしょうね。

菩提樹の下での出来事は、奥行きのある、ちょっと考えさせられる不思議な体験でした。散歩はいいですね!