悲観的な予想にバイアスがかかりやすいのには理由がある
新型肺炎の被害が国内でも広がりつつあります。
ネット上で、「日本もこれから武漢のようになる」「パニックになる前に食料を買いだめした方が良い」などと悲観的な見通しをコメントしている人もいます。
私は、ウイルスに関する専門家ではありません。
しかし、今回の新型肺炎は、報道を見る限り、感染力は強いものの、健常者は軽症に終わることが多いとされています。当然、充分な警戒は必要ですが、過剰な恐怖心を持つ必要はないと思います。
私のように楽観的な予想をすることは、実は大きな勇気が必要です。なぜなら、この手の予想では、楽観的よりも悲観的な予想を言っていた方が、リスクが低いからです。
例えば、悲観的なコメントをして、その通りに事態が悪化すれば、「私の予想した通り」と自分の予想能力をアピールできます。
もし、悲観的な予想が外れ、大した被害にならなければ、ニュースにすらならなくなり、結果はどうでも良くなるのです。
逆に、私のように楽観的な予想をして、悲観的な状況が発生すると、予想が外れたと糾弾されます。
もし、楽観的な予想をして、その通りに事態が展開したとしても、それは当たり前のように思われて、スルーされてしまうわけです。
だから、専門的な知識を持たない人は、悲観的なコメントにバイアスがかかります。
新型肺炎に関しては専門家の最新の情報に注目する
2011年の東日本大震災の時の教訓は、ネット上の悲観的なデマに振り回されるのではなく、信頼できる専門家が発表する最新の情報を確認して、冷静に対応することです。
当時も、食料や水の買い占めなど、パニック的な状況が発生し、東京から西日本に逃げ出す人もいました。
しかし、専門家のコメントや、放射線量の観測データを日々フォローすれば、どう行動すべきかは見えていたのです。
新型肺炎は情報収集力に対する「リトマス試験紙」
今回の新型肺炎は、日本人の情報収集能力が問われるリトマス試験紙とも言えます。
「賢人は最善を望みながら、最悪を覚悟する」という格言があります。
今回も楽観的になり過ぎるのは危険ですが、風評被害に注意し、最悪の状況を覚悟しながら、感染状況などの客観的データをチェックしつつ、冷静に事態の推移を見守りたいものです。