マネクリにてご執筆いただいておりましたオフィス・リベルタス 創業者 取締役、大江 英樹 氏が2024年1月1日にご逝去されました。心より哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

-----

お金はカッコよく使いたい

筆者は現在67歳、いわゆるシニア世代である。筆者が考える「シニア世代にとってお金で最も大切なこと」は、いかに増やすかよりもいかに使うかということだ。

もちろん昨今の2,000万円問題に見られるように老後のお金が足りないのに“いかに使うか”なんて、何をとぼけたことを言っているのか!と思う人もいるかもしれない。

ところが、今回の問題で、総務省のデータで毎月5万円不足と言っている世帯の平均貯蓄額は2,480万円となっている。何のことはない、要するに貯蓄を豊富に持っているから、収入以上に使っているだけの話である。

そんな貯蓄がなければ、毎月5万円の赤字生活などするわけがない。要するに誰にとってもお金は“収入”(入ってくるお金)と“資産”(自分が持っているお金)を合計した範囲内でしか使うことはできないのである。

だから仮に貯金がゼロなら、入ってくる公的年金の範囲内で暮せばいい。特にシニア世代にとっては、ガツガツ増やすことよりもいかに良いお金の使いみちを考えるかがとても大切なことだ。なぜなら人生の最終的な目的は「お金持ちになること」ではなく「幸せ持ちになること」だからであり、お金の使い方次第が幸せになるかどうかのキーポイントだからだ。

知見や知識、経験を含めた財産を若い世代に譲る

「リンボウ先生」として知られている、作家で日本文学者である林望氏の著書の中に「減蓄のススメ」というくだりがある。貯蓄とは正反対の言葉だ。よく「あの世までお金を持っていけるわけじゃない」とか、「子孫に美田を残すな」ということが言われるが、そういう意味では“減蓄”というのは理にかなっていることなのかもしれない。

ただ、ここで言っているのは単にどんどんお金を使おうとか、貯金を減らしていこうという意味とは少し異なる。お金も含めて自分の財産にいつまでもしがみついていてもしょうがない。それぐらいなら、何か世の中の役に立つようにその財産を回していこうというニュアンスが含まれているのだ。

これはお金持ちだから寄附するとか、お金のある人だからそんなことができるのだという風に考える人もいるかもしれないが、筆者は必ずしもそうとは思わない。

資産の多寡だけではなく、自分が築いてきたものや自分が得てきた有形無形の財産を世の中の役に立つように渡していくという考え方は、シニア世代によっては極めて有意義なことである。

リンボウ先生も「自分の大切な財産は書物だけれど、それが世の中で本当に必要とされる人の手に渡って後世にも伝えていってもらえるようにしたい」ということを述べている。
つまり自分の持っている知見や知識・経験まで含めた財産を広く若い世代に譲っていく。それが“減蓄”ということの本当の意味なのだ。

寄付も投資もお金を“今必要とする人”に回す行為

もちろん、余裕のある人は寄付や投資をすればいい。寄付と投資は全く正反対の行為と思う人がいるかもしれないが、実は同じことなのだ。どちらも「今すぐにお金を必要としない人が、そのお金を、“今必要としている人”に回す行為」だからだ。

その結果、投資の場合は、お礼としてお金が返ってくる。それは「配当」であったり、その企業がうまく事業を成功させて高い利益が上がれば、株価も上がることで得られるキャピタルゲインであったりする。

寄付の場合、お金は返ってこないが、代わりに感謝の気持ちが返ってくる。どちらも世の中にお金を回すことで、世の中を良くしようとすることに変わりはない。ゆとりを持ったシニアであれば、そういうカッコいい使い方をぜひやってほしいと思う。

年を取るにつれて、自分が大切にしてきたものをどんどん世の中に回していく。それによって心身ともにスッキリとした人生の後半生をおくることができる、というのは間違いなく真実のような気がする。言わば「シンプルに生きる」ことがシニアの理想の生き方なのではないだろうか。お金も含めて、自分の持っている知見や経験・知識などを若い世代にどんどん譲っていきなさい、ということを言っているのである。

人間というのは欲望の強い生き物で、それ自身を否定することはできない。ただ欲望があまりにも強すぎるゆえに悩みや苦しみが生じるということもまた事実である。

だとすれば、年とともに「執着」を捨てていくというのも自然な姿であり、ひょっとしたら心がやすらかになっていくのではないか、そんな気がしてならない。いつまでもお金儲けに執着するよりも、シニアはカッコよくお金や知的財産を使うことを考えていくべきではないだろうか。