人は真似るものです。誰もが知ってるように、赤ん坊は言葉も仕草も、全て周りの人を真似ることによって学んでいきます。考え方も同様でしょう。そしてこれは赤ん坊だけでなく、大人であっても、程度の差こそあれ同様です。国際会議などに出席してきた経験から思うのですが、目に入るもの耳に聞こえるものに、私も大きな影響を受けてきました。何を発言していいのか、何をしていいのか、そして何がタブーなのか。日本人としてのアイデンティティーを失う訳ではないのですが、徐々に周りに合わせた範囲内で行動するようになっていきます。これは恐らく、生き物としての本能で、自分の属する系の中で例外になりたくない、周りに例のない行動は取りにくい、更に云うと、周りの期待に応えたい、と云う事ではないでしょうか。

翻って昨今の日本に於ける報道を鑑みるに、少々疑問に思うことがあります。「真似されるべきでないこと」に関する報道のあり方についてです。例えば子供の自殺の問題。あれは似た環境にいる同世代が自殺を選んだことを知った子供が、「あぁ、そう云うのもありなんだ」と思って安易にその道を選んでしまっていると云うことはないでしょうか。

この件に関しては様々な考え方や論点があると思います。そもそも自殺は決して許されないという考え方から、最も侵しがたい基本的な人権であるという考え方まであるでしょう。或いは、教育に関して減点ゲーム的な風潮があるのではないかとか、子供の周りだけでなく、そもそも多様性を認めにくい社会構造全体に問題があるのではないかとも考えられます。そのような問題の根本を追究することには意味があるように思われますが、自殺の事実とその環境の紹介だけの報道では、更に同様の悲しい事故を増やしてしまわないでしょうか。難しい問題です。しかし大切なものは何かと云うことを、社会はもっと考えるべきではないでしょうか。