生まれて初めての鹿児島は、残念ながら雨模様でした。昨日も書いたように、薩摩文化の大きな決定要素がその明るく強く美しい桜島だとすると、雲の中に半分隠れたどんよりとした桜島しか見られなかったのでは、私は正しい鹿児島に接しなかったと言うべきでしょう。街をぶらぶらつまみ食いすることも出来なかったので、飲食からの観察も今一つでした。それでもやはり感じたこともあります。それは「豊かだ」ということです。

街並みも、ホテルの造りも、内装も、全てに豊かさを感じます。きっと昔からの蓄積があるのでしょう。日本各地を回って感じるのは、大体江戸時代の石高に応じて、未だにその土地の経済が推測できるということです。江戸時代、日本全体は約3000万石でしたから、例えば薩摩77万石なら、日本全体の2.5%程度の経済規模になります。単位面積当たりの石高(これは一般に西高北低なのですが)の高い地域ほど、街の雰囲気も豊かそうです。これは、石高が高いということは農作物が豊富だった、その結果人口密度も高くなった、その結果消費人口も多くなり、農業経済から工業・商業・サービス業経済に移行していっても、引き続き高い経済力を維持していった。とまぁ、そういうことでしょう。

それから空港に戻る途中、車窓から鶴丸城趾を見ました。大きな平城なのですが、石垣はとても低く、お堀も極めて狭いものでした。明らかに敵の侵入を想定していません。大国であり、お城まで攻めてこられる心配がなかったのでしょう。一方、聞いたところでは、薩摩弁を常に細かくしっかりと藩内で教えていたそうです。唯一警戒すべき敵は幕府の密偵であり、関所の問答でよそ者を見極めようとしたのでしょう。

今度鹿児島に行く時は、もっとゆっくりしたいと思います。