10日ほど前、私はダボス会議に数日間出席しました。私もスピーカーとして参加するセッションもあり、日本経済の効率性が落ちてきている理由は、広い意味での市場経済が機能していないからであり、そしてその根本的な理由を正さなければ、不良債権を始めとした問題はこれからも起こり続けると言いました。
例えると、映画スクリーンの中の敵に対して向かっていっても意味はなく、元にある映写機自体を壊さなければ映像は消えないのと一緒です。根本的な理由とは、国民の総意を具現化するプロセスが必ずしも理想的な形で民主的になされていないこと、多様な価値観を認められていないことの2点が、永久機関のように互いに支え合って、互いに維持されていることだと考えました。そして多様性を認めない遠因は画一的な教育とメディアにあるとも言いました。当地のメディアを始めとして、なべて外国人には受けが良かったのですが、日本サイドの中では賛否両論でした。
ところで、ダボスにおける最大の感想は、「日本の参加があまりにも低い」ことでした。先日も書いたように、金融関係者はほぼ皆無でした。銀行の不良債権問題は、実は世界的な現象です。「銀行をどう再生するか」というランチ・セッションには50人ほど参加していたのですが、各国の金融規制当局・中央銀行・民間銀行が活発に議論する中で、何度も「日本の銀行危機」が語られたのですが、参加している日本人は私だけで、思わず手を挙げて「危機という類の問題ではない」と日本の銀行・金融を弁護したほどでした。ダボスで各国の事情を聞くと、日本は国全体で見るとそれほど悪い状態にあるように見えません。むしろ銀行問題でも、高齢化社会問題でも、デフレ問題でも、世界の多くの国が今抱えようとしている問題の先頭を走っている日本は、困難な環境下で良くやっていると思います。しかし参加して・説明しなければ、誤解されても訂正できませんし、国際社会に経験を提供して貢献することもできません。日本は世界の16%なりのGDPを誇る大国です。言葉や文化の壁を越えて、しっかりと説明をしていく責任があると信じます。金融関係者に限らず、全般に日本の参加は極めて低いものでした。国際社会の一員としての責任を果たしていないような、そんな恥ずかしさと虚しさが、私の胸を占めた一番大きな感触でした。