異例の2代続く「3年財務官」は1980年代以来

2代連続の「3年財務官」となると、1980年代前半から後半にかけての大場氏、行天氏以来になる。当時は1985年の「プラザ合意」による米ドル実質切り下げやその後の急激な円高局面で為替相場への関心が極めて高まっていた。

通貨政策の実質的な責任者である財務官の平均的な任期の2年を上回る「3年財務官」が、大場氏、行天氏と2代続く異例の事態になった背景には、「歴史的円高」という為替相場の影響が大きかったと考えられる。

これに対して、それ以来となる神田氏、三村氏の「3年財務官」が2代続く見通しになっている背景には、1980年代当時とは為替相場の方向性が正反対となる円安の長期化によるいわゆる「歴史的円安」の影響がやはり大きいだろう。

2024年までは「神田ー三村体制」で円安対応=2025年は日米関税交渉に関与

この歴史的円安局面において、為替介入の陣頭指揮をとる財務官は、2022年、2024年、2026年と円安阻止の米ドル売り・円買い介入に踏み切った。このうち2022年、2024年の介入局面における財務官は神田氏だったが、当時の三村氏(現財務官)は、財務官の次席である国際局長のポストにあった。その意味では、2022年、2024年の円安阻止策は、実質的には「神田ー三村体制」で行われたものだった。

その後、2024年に国際局長から財務官に昇格した三村氏にとって最初の大きな課題となったのは2025年1月から始まった米トランプ政権との関税交渉だった。日本側の交渉責任者だった石破政権の赤澤大臣を補佐し、5500億米ドルの対米投資で日米合意をまとめたことについて三村財務官の果たした役割はきわめて大きかったとみられている。そして日米関税交渉が一段落した後は、再燃した円安への対応が最重要任務となっている。

2024年までとは変わった円安の背景=財政規律懸念の円売り

上述のように、神田財務官時代の3年間、三村氏は財務官の次席である国際局長のポストにあった。このため神田財務官時代の円安阻止のための介入にも国際局長として三村氏は大きく関わっており、その意味では介入手法などに基本的な違いはなさそうだ。

ただ、神田財務官の頃に比べて円安の背景がその後大きく変わった。最も分かりやすいのは金利差との関係だろう。三村氏が財務官に就任した頃から、円安は日米金利差(米ドル優位・円劣位)縮小に反応せず、むしろそれを尻目に広がるようになった(図表1参照)。これは、円売りの主因が日本の財政規律への懸念に変わったためとみられている。

【図表1】米ドル/円と日米金利差(2020年~)
出所:LSEG社データよりマネックス証券が作成

三村財務官が指揮をとった円安阻止介入は、2026年に入ってからゴールデンウィークと7月末頃だった。このうち前者については、約11兆円の米ドル売り・円買い介入を実施しながら、その後さらに円安進行となったことから失敗との見方もあるようだが、財務官周辺ではあの介入がなければ円安は早々に165円を超えていた可能性もあり、円安進行を遅らせたことで意味があったと考えているようだ(図表2参照)。

【図表2】米ドル/円と日本の長期金利(2025年1月~)
出所:LSEG社データよりマネックス証券が作成

円安阻止の協調対応は不可避となっていた可能性

また7月末の円買い介入は、1998年以来の日米協調で行われた。これについて三村財務官は「日米通貨同盟の完成形」と表現した。1980年代後半にかけて、2代続いた「3年財務官」の頃、プラザ合意の米ドル切り下げ、そしてその後の歴史的円高対策に対して当時のG5(先進5ヶ国財務大臣及び中央銀行総裁会議)が協調介入で対応したことを考えると、今回の歴史的円安への対策が、日本単独から協調に変わったのも当然なのかもしれない。

1980年代後半の歴史的円高は、2代続いた「3年財務官」の2人目、行天財務官時代に一段落した。そう考えると、今回の場合も、三村財務官の3年目の任期中に歴史的円安の流れを変えられるかは注目される。

ENA留学、「フランス派」財務省関係者が主導する通貨当局

三村財務官は欧州で育った帰国子女であることに加え、財務省入省後に留学した先はフランスのエリート官僚を育成するための機関として知られ、「フランスの東大」とされるENA(フランス国立行政学院)であることから、財務官僚の中でも屈指のフランス語の使い手として知られる。

そして現在の財務大臣の片山さつき氏は、財務省の入省年次では三村財務官の7年先輩だが、留学先は同じENAである。つまり現在の日本の通貨当局は、奇しくもENA留学が共通する、2人の「フランス派」財務省関係者が主導する体制となっている。