近年、ファイナンス研究の分野では、「行動ファイナンス」と呼ばれる比較的新しい考え方が広く知られるようになっています。
学術分野というと難しく感じるかもしれませんが、行動ファイナンスは、投資家の心理や感情が株価にどのような影響を与えるのかを分析する分野です。昔から株式市場には、さまざまなジンクスやアノマリーが知られてきました。行動ファイナンスは、そうした一見不思議な株価の動きについて、「なぜそのような現象が起きるのか」を人間の心理や行動の面から説明しようとするものです。

もちろん、行動ファイナンスにも数式を使った難しい研究はあります。しかし、ここではそのような専門的な話はいったん脇に置きましょう。重要なのは、人間は必ずしも常に冷静で合理的に判断するわけではなく、感情や気分に左右されながら意思決定を行うという点です。これが行動ファイナンスの基本的な考え方です。

これは当たり前のように聞こえるかもしれません。しかし、伝統的な経済学やファイナンス理論では、投資家は合理的に行動し、市場では利用可能な情報がすばやく株価に反映される、という考え方が前提とされることが少なくありません。いわゆる「効率的市場仮説」と呼ばれる考え方です。
しかし、現実の人間の行動は、必ずしもそこまで合理的ではありません。

投資家はいつも合理的に判断できるのか

実際の株式投資を考えてみましょう。
株式市場には、常に好材料と懸念材料が同時に存在しています。例えば現在であれば、中東情勢の緊張緩和が進めば、企業業績の改善期待が高まる可能性があります。また、AIや半導体分野でも、データセンターやフィジカルAIの普及を背景に、中長期的な需要拡大を期待する見方があります。

一方で、懸念材料もあります。中東情勢については、イランの核開発問題が完全に解決したわけではなく、再び緊張が高まる可能性も否定できません。また、AI関連でも、データセンターの建設ラッシュが一巡すれば、これまでのような大規模な設備投資や半導体需要は徐々に落ち着くのではないかという見方もあります。このように、株式市場では100%好材料だけ、あるいは100%悪材料だけという状況はありません。投資家は、さまざまな情報を総合的に判断して投資を行う必要があります。

しかし、人間は常に冷静な判断ができるわけではありません。気分が落ち込んでいるときには、好材料よりも懸念材料の方が気になりやすくなります。逆に、楽観的な気分のときには、リスクを軽視し、好材料ばかりに目が向いてしまうこともあります。

つまり、投資家の心理状態によって、同じ情報を見ても受け止め方が変わってしまうのです。これが、行動ファイナンスが注目する重要なポイントの一つです。
では、投資家の心理を左右するものには、どのようなものがあるのでしょうか。

スポーツの勝敗が株価に影響する?

投資家の心理を左右する身近で意外な例を紹介しましょう。
米国ファイナンス学会の公式学会誌『The Journal of Finance』は、世界最高峰のファイナンス分野の学術誌として知られています。この学会誌には、2007年に興味深い論文が掲載されました。イギリスのファイナンス学者、アレックス・エドマンズらによる「スポーツによる投資家心理と株式リターン(Sports Sentiment and Stock Returns)」です。

この論文では、「ワールドカップの決勝トーナメントで自国代表が敗退した翌営業日には、その国の株式市場は平均0.49%の異常な下落を示した」という結果が報告されています。
日本時間の6月30日午前2時に行われたワールドカップ決勝トーナメント1回戦で、日本代表はブラジル代表に敗れました。この論文の結果だけを見れば、同日(30日)の日経平均株価は下落しても不思議ではありません。しかし、実際の日経平均株価は前日比594円高となりました。もちろん、株価はサッカーの結果だけで決まるものではありません。この日は前日の米国株式市場で半導体関連株を中心に上昇した流れを引き継ぎ、日本株も買われました。

一方で、行動ファイナンスの観点から見ると、興味深い見方もできます。日本代表は優勝候補のブラジルを相手に最後まで粘り強く戦い、健闘を称える声が多く聞かれました。そのため、「敗戦」という結果以上に、「よく戦った」という前向きな印象を抱いた人が多かったと考えられます。
つまり、論文の内容から一歩踏み出して考えると、重要なのは単純な勝敗ではなく、その結果を人々がどのように受け止めたかです。国民の心理が前向きであれば、投資家心理にもプラスに働く可能性があります。行動ファイナンスでは、このような「人々の受け止め方」が市場に影響を及ぼす可能性がある点にも注目しています。

スポーツの結果が投資家心理に影響を及ぼし、それが株価にも反映される可能性があるという考え方は、一見すると意外に感じられるかもしれません。しかし、このような人間の心理と市場の関係を解き明かそうとすることこそが、行動ファイナンスの重要なテーマなのです。
もう一つ、身近な例を紹介しましょう。

梅雨空と投資家心理、相場の晴れ間に期待

先ほどは米国ファイナンス学会誌に掲載された論文を紹介しましたが、日本にも行動ファイナンスの分野で意外な研究があります。日本ファイナンス学会の学術誌『現代ファイナンス』には、2004年に「天気晴朗ならば株高し」という興味深い論文が掲載されました。
この論文の結論を一言でいえば、「晴れの日は株価が上がりやすく、曇りや雨の日は株価が下がりやすい」というものです。

その理由は、天気が人々の気分に影響を与えるためと考えられています。晴れの日は気分が明るくなり、投資家も楽観的になって株式を買いやすくなります。一方、曇りや雨の日は気分が沈みがちになり、慎重な投資行動を取りやすくなるという考え方です。
実際、雨の日の朝を思い浮かべてみてください。通勤で傘を差し、足元や服が濡れないように気を遣うなど、普段より気分が重くなる人も多いのではないでしょうか。こうした日常のちょっとした気分の変化が、投資判断にも影響を及ぼす可能性があるというのが、行動ファイナンスの考え方です。

さて、東京では毎日のように梅雨空が続いています。
過去20年間を調べると、関東甲信地方の梅雨の期間における日経平均株価の勝率(梅雨の期間に日経平均株価が上昇した割合)は4割にとどまりました。梅雨時期は株価が上がりにくいという傾向は、この論文の結果とも整合的です。
代表的な気象予報機関である日本気象協会は、7月2日に最新の梅雨明け予想を公表しました。それによると、関東甲信地方の梅雨明けは7月20日ごろと見込まれています。
足元の日経平均株価は方向感に欠ける展開が続いています。梅雨明けとともに投資家心理も晴れ渡り、相場も上昇基調へ転じることを期待したいところです。