東京の道を注意深く観察すると、かつてこの地がどのような地形であったかがうっすらと分かります。太田道灌が江戸城を造った時は、山というか丘陵が比較的険しく、平地を挟まずに直接今の日比谷の交差点あたりで海になだれ込んでおり、江戸城の部分を削り取って平らにし、その土で日比谷から南側を埋め立てたそうです。今の皇居から見て北から西に広がる部分がちょうど山の方向で、尾根と谷が幾重にも放射線状にあったのでしょう。本郷通り、春日通りは尾根づたいに伸びており、町並みも武家の屋敷があったような佇まいがありますが、これらの通りと互い違いに挟まれて走っている不忍通りとか、白山通りなどは明らかに谷を伝わっている通りであり、町並みも武家と言うよりは町屋風です。こうやって見ると普段見慣れた街並みも興味深くなりますね。