◆先日、あるメディア主催による「ピケティ・ナイト」と銘打たれた企画で、池田信夫、水野和夫の両先生と僕の3人で鼎談をした。テーマはもちろん、トマ・ピケティ『21世紀の資本』についてである。敵情視察というわけではないが、事前に両先生のご著書に目を通した。水野先生の『資本主義の終焉と歴史の危機』は20万部を超える大ベストセラー。池田先生の『資本主義の正体』も(ピケティ人気にあやかってか)好調な売れ行きだという。

◆池田先生の『資本主義の正体』には、「マルクスで読み解くグローバル経済の歴史」と副題がある。そう、マルクスの本なのだ。この本を読んでいちばんびっくりしたのは、マルクスは「資本主義」という言葉を一度も使ったことがない、という箇所であった。ええっ?マルクスの『資本論』が資本主義の出発点なのではないか?そう思っていたから目から鱗である。池田先生によると、資本主義(Kapitalismus)は20世紀初めにゾンバルトが初めて使った言葉だという。だから厳密にはマルクスの『資本論』に出てくるKapitalistische Producktionweise を「資本主義的生産様式」と訳すのは間違いで、「資本制生産様式」とするべきである、という。

◆で、その「資本主義」という言葉を初めて使ったとされるヴェルナー・ゾンバルトはドイツの経済・社会学者。盟友、マックス・ウェーバーと並び称される経済学者であったが、ウェーバーの名が長く後世に語られているのに対して、ゾンバルトは一般にはあまり知られていない。その理由は僕の憶測だが、真面目なウェーバーに対して「不謹慎な」ゾンバルトと思われてしまったからではないか。ウェーバーが資本主義成立の要因をプロテスタンティズムの禁欲的倫理に求めたのに対し、ゾンバルトのほうはと言えば、女と贅沢と戦争だというのだ。本人はおおいにマジメなのだろうが、それでは周囲が眉を顰めたに違いない。

◆ウェーバーは第一次世界大戦終結直後に、ゾンバルトは第二次世界大戦の初期に亡くなった。「戦後」の資本主義のすさまじい隆興を知らずして世を去った。現在の資本主義を草葉の陰から彼らが目にしたら、お互いどちらが正しかったというだろうか。僕が行司役ならゾンバルトに軍配を上げる。ささやかなバースデー・プレゼントとして。今日、1月19日はゾンバルトの誕生日である。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆