◆『その街のこども』というドラマがあった。阪神・淡路大震災から15年後の2010年1月17日、NHKのテレビドラマとして放映され大きな反響を呼んだ作品だ。ふとしたきっかけで出逢った若い男女が、いくつかの場所を訪れながら夜の神戸の街を歩く。ストーリーらしきものはない。特別な事件は何も起こらない。夜明けに行われる<追悼のつどい>までの時間を淡々と共有する二人。あの日から15年後の神戸で二人が共有した時間に「あの時」の記憶が重ね合わさってゆく。
◆神戸の街は見違えるくらいにきれいになった。しかし「記憶」は風化させてはいけないのだろう。「記憶」を風化させないためには「記録」が必要である。写真、ドキュメンタリー、ルポタージュ。俳句もまた「記録」媒体となる。
倒・裂・破・崩・礫の街寒雀(友岡子郷)
「あの時」の、あの街の映像を鮮烈に文字で切り取っている。
◆あの年の記憶が呼び起されるような相場展開が年初から続いてきた。1995年も年初から株安と円高が進行した。ドル円は4月に1ドル80円を割り込み79円95銭とそれまでの戦後最高値を更新した。しかし、そこが円高のピークだった。年後半には円安基調に転じ、それを好感して株式市場も上昇、その年の年末に日経平均は2万円を回復した。壊れたものも、時間が経てば元に戻る。そんなことを象徴するかのように株価も為替もV字回復の軌道を描いた年、それが1995年だった。
◆僕は最近、日本株市場の参加者は記憶力がないのではないか、と述べてきた。ちょっと海外市場が動揺すると日本株相場は海外市場以上に大幅安となる。そうした変調はすぐに収まる。すると日本株は大幅反発に転じる。毎度同じことの繰り返しが続いてきた。しかし昨日の日本株市場は違った。前日のNYダウが一時300ドルを超える下げとなったにもかかわらず、自律反発となったのだ。どうやらマーケットは、ようやく記憶力がついてきたらしい。
◆「あの時」の神戸の街で寒雀は凛としていた。雀には何が起きたかわかるまい。何が起きようと、凛として生きている。生きていく。それはまた、人間も同じである。記憶を風化させないことも必要だろう。しかし、われわれは過去に生きるのでなく、今を生きるのである。年初の誓いを改めて震災忌に思い出そう。前を向くことである。
人間は何万年も、あした生きるために今日を生きてきた。(手塚治虫)
明日で「あの時」から20年が経つ。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆