◆この正月に若い友人のA君からもらった年賀状は結婚報告を兼ねていた。「このたび結婚することになりました」。それを読んだとき、どこかしっくりこない感じがしたのだが、自分でもその違和感の理由がはっきりわからないでいた。が、電車のなかの広告を見て合点がいった。大手進学塾の日能研がずっとおこなっている「シカクいアタマをマルクする」。実際の中学受験の入試問題を紹介する企画広告である。
◆「日本語では下の(X)のような、なんとなくなりゆきでそうなったような言い方が好まれるのに対して、英語では(Y)のように、誰が、何をするかをはっきり表します」。(X)は「今度、結婚することになりました」、(Y)は「We are getting married.(私たち結婚します)」とある。そうなのだ。「結婚することになりました」は、なんとなくなりゆきでそうなったような、どこか他人事のような言い方に聞こえるのである。
◆日本語は、誰が何をしたのかわからない、責任があいまいな言語である、という。それを踏まえて、この中学校が出した問題がふるっている。「次の文は(Y)型の文です。『私が教室のガラスを割りました』。これを(X)型の文に直しなさい」。正解は「教室のガラスが割れました」。見事に誰が割ったのか責任の所在がわからなくなっている。これぞ「正しい日本語」の表現だと教えたいのだろうか。出題の意図をはかりかねる。
◆年明けから日本株相場は大荒れの様相だ。6日には日経平均は500円を超す急落となったかと思えば昨日は一時300円を超える上昇となった。原油安やギリシャの政局など不安材料はある。しかし、わずか数日のうちにそれらの状況が大きく変わるものではあるまい。日本株の値動きは単に前日のNY市場が上がったか下がったかに引きずられているだけだ。なんとなくなりゆきでそうなったような、どこか他人事のような値動きである。まさに日本語と同じで主語がない。すなわち主体性というものが欠けているのである。
◆賀状の返信を書く代わりにA君に電話した。「おめでとう」を2回言った後、結婚するに至った経緯を尋ねてみた。「君があのお嬢さんと付き合っていたことは聞いていたけど、結婚は考えていないと言っていたじゃないか。どうしてまた急に結婚することになったんだい?」「ええ、まあ、なんとなくなりゆきで。」
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆