◆ドストエフスキーを原語で読みたい、という理由でロシア語を専攻した。ところが、いざ大学に入ると勉強はそっちのけで遊び呆けてばかり。クラスで一番の劣等生だった。そんな僕が、1カ月ほど前の小欄に、<ロシア語の「右」はプラーヴダ「真実」という意味である>と書いたところ、読者の方から「そんな意味はない」とのご指摘を受けた。右=プラーヴィと真実=プラーヴダ、「プラーヴ」までは綴りも同じで語感が似ているから勝手にそう思ってしまったのだ。

◆松本大の知り合いにフランス語に通じている方がいて、話題のトマ・ピケティ「21世紀の資本」をフランス語の原著で読んだそうだ。読んでみたら、「ふ~ん」という感じで、これがなぜ熱狂的なブームになっているのかわからないという。確かにピケティの母国フランスで出版された時はそれほど話題にならなかったのに、アメリカで英訳版が出てから爆発的に売れた。原文のフランス語と翻訳された英語とでは言葉の意味が微妙に異なり、その結果、読み手の受け取り方が違ったということもあるのではないか。

◆「21世紀の資本」についての論考は圧倒的に経済学者の手によるものが多いが、そのなかにあってフランス文学者・堀茂樹氏の考察が目を引く(『メリトクラシー再考 ピケティ「21世紀の資本」を読んで』 現代思想1月臨時増刊号)。世襲によって格差が広がるのは不公平だとしても、実力で富をつかむのならば公平か。能力主義・実力主義 - いわゆる「メリトクラシー」は近代デモクラシーに内在する正義の感覚にマッチするのか。

◆堀先生は、古フランス語のmerite、さらにはラテン語のmertiumの意味などに触れながら以下のように説く。英語の「メリットmerit」の語義は、「長所・取り柄」という「能力」を表するのに対して、現代フランス語の「メリトクラシー(meritocratie)」に含まれている「メリットmerite」は、「報いに値する努力・頑張り」である。そう考えると、フランス語の「メリトクラシー」は、英語が意味する純然たる「能力主義(社会)」ではなく、努力や頑張りが公然と評価され報われるような社会システムを指すのだ、と。

◆言葉は難しく奥が深い。似ているから、などと安直に使うと大きな間違いを犯すことになりかねない。しかし、それを分かったうえで、その似ているところや違いを楽しむ余裕を持ちたいものだ。例えば、この詩人のように。

海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西(フランス)人の言葉では、あなたの中に海がある。
(三好達治「郷愁」)

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆