◆夏の終わりに『ショーガール』のステージを観た渋谷のPARCO劇場に再び足を運んだ。今かかっている『ブエノスアイレス午前零時』を観るためである。原作は1998年の芥川賞を受賞した藤沢周のベストセラー小説。気鋭の映画監督、行定勲の演出である。舞台は、雪国の温泉街のホテルと、ブエノスアイレスの酒場が交錯する玄妙な世界を描き出す。束の間、自分が東京にいるのを忘れるような不思議な感覚を味わった。

◆「南米のパリ」と称されるアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスは美しく欧州的な街である。有名なアルゼンチン・タンゴ発祥の街とも言われ文化的水準も高い。事実、20世紀の半ばには、アルゼンチンの一人あたりGDPはフランスより高く、経済的にも繁栄を謳歌する豊かな大国であったのだ。しかし、農業経済から抜け出せなかったアルゼンチンは工業化の波に乗り遅れ、放漫財政も重なって没落していった。20世紀の半ば以降の65年間で、フランスの一人あたりのGDPはアルゼンチンの2倍と大差がついた。

◆この65年間、フランスの一人当たりGDPはアルゼンチンより平均して1%程度高かった。たかが、1%である。しかし、1%でも65年複利となるとほぼ倍になる。これが成長を止めたアルゼンチンと、成熟し低成長であっても成長を続けたフランスとの差である。「だからたとえ年率1%でも成長を続けることが大切なのです」。以上は、今年のマネックスお客様感謝デーで、竹中平蔵・慶応大学教授から伺った話である。

◆話題のトマ・ピケティ『21世紀の資本』。ひとつのテーマは、クズネッツの「逆U字仮説」に対する反論である。「逆U字仮説」とは、経済発展にともなって、例えば農業部門から工業部門へと資本や労働の生産要素が移動し、結果的に平等な所得分配がもたらされるというものである。そのクズネッツは、かつてこう述べた。「世界の国々は4つに分類できる。先進国、発展途上国、そしてアルゼンチンと日本だ」。

◆「没落したアルゼンチンと、工業化で奇跡の成長を果たした日本。この2国は例外との意味だった。」クズネッツの言葉を紹介した日経新聞のコラム「一目均衡」からの引用だ。このコラムが掲載されたのは2012年12月11日。2年前の衆院選の直前である。その時から2年経った。わが国の経済はどれだけ成長できただろう。たかが2年。されどその間のわずかな積み重ねが、将来を決する。PARCO劇場の客席で僕が感じた「ここは東京か?」という感覚は、もしかしたら東京がブエノスアイレスに近づいている暗示だったのかもしれない。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆