◆世間には/しあわせを売る男がいたり/お買いなさい夢をなどと唄う女がいたりします/商売には新味が大切/お前さんひとつ 苦労を売りに行つておいで/きつと儲かる/じゃ行こうか と私は/古い荷車に/先祖代々の墓石を一山/死んだ姉妹のラブ・レターまで積み上げて/さあいらつしゃい お客さん/どれをとつても/株を買うより確実だ/かなしみは倍になる/つらさも倍になる (石垣りん「落語」)
「きっと儲かる」「株を買うより確実」「倍になる」 - これが証券取引の勧誘ならば「断定的判断の提供」で金融商品取引法に抵触する。だが、売るものが「苦労」では金商法の適用外である。それにしても石垣りんのこの詩は暗い。「落語」というタイトルにしてはまったく笑えない。しかし、真の笑いというものは、こうした悲しみやペーソスの裏付けのもとに成り立つものなのかもしれない。
◆日本経済新聞『私の履歴書』で萩本欽一さんの連載が始まっている。僕は電車のなかで新聞を読むのをやめた。欽ちゃんの、貧乏で苦労した少年時代の話は涙なしには読めないからだ。家が貧しくて革靴を買ってと言えなかった。校則違反だけどズック靴で通った。学校から家に連絡が行き、母親が出してきたのは兄が履き古した革靴。前がぱっかりと口を開け、かかとはすり減り、継ぎが当たっていた。ズック靴で通うより惨めな気持ちだった。新聞配達のほかいくつもアルバイトを掛け持ちして働いた。
◆いつの時代の話だと思われるだろうか。しかし今も萩本少年のような若者はいるに違いない。僕らがクリスマスだ、パーティーだ、シャンパンだ、と浮かれ騒ぐ傍ら、寒空の下で労働に勤しむ若者がきっといる。年明けに経済学者のセンセイ2人と鼎談することになった。テーマは「トマ・ピケティ『21世紀の資本』を語り尽くす」。付け焼刃で勉強しているが、読めば読むほど、格差社会について考えさせられる師走の今日この頃である。
◆石垣りんの詩「落語」は暗くて笑えないが、稀代のコメディアン・欽ちゃんの言葉が、その通りだ、と裏書しているかのようである。「僕は楽しかったことは忘れてしまうのに、つらい記憶は生々しく心に刻まれている。つらさは糧になるし、その先に希望がある。だから忘れないぞ、と心に決めている。つらい経験をしている若者にこそ夢を追いかけるファイトが育つんだ」(12月7日『私の履歴書』)
◆若い頃の苦労は買ってでもしろという。苦労を買って、悲しみや辛さが倍になるのではない。その悲しみや辛さの分だけ喜びや成功となって返ってくる。何倍にもなって返ってくるのだ。「苦労」の売買は金商法の適用外。だから大きな声で断定的判断を提供しよう。絶対にそうである。株を買うより確実だ。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆