◆「日本人は絶対、民主主義を守るために死なん。ぼくはアメリカ人にも言うんだけど、 『日本人は民主主義のために死なないよ』と前から言っている。今後もそうだろうと思う」(三島由紀夫『文武両道と死の哲学』)

三島由紀夫『文武両道と死の哲学』は、前回の小欄で取り上げた福田恆存との対談である。「若きサムライのために」(文春文庫)に収められている。三島・福田ともに戦後日本を代表する保守派の論客であった。ふたりを「保守」という大きな枠組みで括ることはできるが、それぞれの主張は独自の哲学に貫かれていて興味深い。

◆先週、国会が解散された。内閣の助言と承認を受けて天皇が国事行為としておこなう、いわゆる7条解散である。もちろん象徴である天皇は「政治的権能」を有しておらず、全ての政治的判断は内閣による。ここですでに形式と実質の、本音と建前の、二重構造がある。形式的には天皇が国会を解散するのだが、その実質的な権限は内閣にある。民主主義の根幹からして二重構造になっている。

◆行政(内閣)がいつでも立法(議会)を否定できる。三権分立が成り立っていないが、これは何も日本だけに限ったことではない。アメリカは三権分立が強く成り立っている稀有な国で、特に議会の独立性は際立っている。議会は大統領を不信任決議することが出来ず、一方、大統領も議会を解散することが出来ない。これらの点については、いつかまた別の機会に触れたいと思う。

◆兎にも角にも、衆院は解散され、師走の総選挙に向けて与野党は実質的に選挙戦に突入したが、有権者は冷めている。無理もない。この選挙の意義がわからないからだ。大義なき選挙と批判される所以である。消費増税の先送りについて民主党までが容認しては、何を問う選挙なのかまったくわからない。ところが、「場外乱闘」さながら、経済界や市場関係者の間では、いまだに消費増税延期の是非や功罪を云々する議論がある。このタイミングでの増税賛成論というのは、僕に言わせれば、偽善か浮世離れし過ぎた理想主義である。

◆前出の『文武両道と死の哲学』のなかで福田恆存はこう述べている。「ぼくは、そういう偽善をなんとか直さなきやいかんと思うんだ、日本人の道徳観を。(中略)一番困るのは、偽善であることを自分ではチットも意識しない人種がふえてくることなんだよ」

◆三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決してから、今日でちょうど44年を迎える。日本の民主主義はどこへ向かうのか。もし三島が生きていて今の日本の現状を見たら、「やっぱり俺の言ったことは正しかっただろう?」と言うのではないだろうか。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆