◆翻訳家をしている大学のクラスメートからその本が送られてきたのは、1年半前のことだ。当時はアベノミクスが始動して1年に満たないころ。成長戦 略に対する期待は大きかったが、当然のように中身はまだ具体性を欠いていた。そうしたときに、たまたま献本されたその本には日本が進むべき道について、示 唆に富む言葉がいくつもちりばめられていて、むさぼるようにして読んだ。その本とは『リー・クアンユー、世界を語る』(著者:グラハム・アリソン /ロバート・D・ブラックウィル /アリ・ウィン /訳者:倉田真木)である。

◆リー・クアンユー氏の経歴や功績について、ここで多くを語る必要はないだろう。既に多くのメディアが報じている。資源も人口も、水すらもない小国 を、わずか半世紀でアジア随一の、いや世界でも有数の先進都市国家に導いた類まれなる指導者であった。毀誉褒貶はどんな人物にもつきものである。清廉さを 旨としたイメージが強いが、それは国家戦略としてのことであり、政治家である限りは、リー・クアンユーそのひとにも清濁併せ飲むところがあったと思う。

◆氏の訃報に際して僕が改めて思ったことは、偉大な指導者とは、優れたストラテジスト(戦略家)であるということだ。世界情勢を読む目の鋭さ。明快 な戦略とプランニング。遂行の方法論。目標管理とリスクの把握。そのすべてが冷徹なプラグマティズム(実際主義)に貫かれていた。一流のストラテジストで あり、かつ有能な企業経営者のようでもある。

◆企業経営者という印象は、氏のこういう言葉からきている。「国家の競争力を左右する唯一かつ最重要の要素は、その国の人的資本の質にある。」「そ ういう競争には、起業家精神、革新性、経営能力の三つの要素が不可欠だ。」 「国家」を「企業」に読み替えれば、そのままMBAの教科書としても通用す る。氏は、技術革新の重要性とグローバル資本主義の発展をいち早く見抜き、そのカギが「人」にあるとわかっていた。

◆一方、統治手法は「開発独裁」とも言われる強権政治も辞さないものだった。グローバル化のメリットを最大限に浴するためにはグローバルなヒト・モ ノ・カネの流れを活性化する法律の整備や制度の確立が必要だからだ。リー・クアンユーは「基本的に不可欠なのは、法による統治である」と述べている。シン ガポールがFine Country だとは言い古されたジョーク。Fine には「素晴らしい」という意味のほかに「罰金」という意味もある。

◆「法による統治」を徹底する、その根底には、「人間は悪である」という思想がある。リー・クアンユーは戦略的原則の基本は?と問われてこう答えている。「人間は残念ながら、本質的に悪である。だから悪を抑える必要がある。」

◆僕はアジア株のファンドマネージャーをしていた時代に、企業調査で何度もシンガポールに赴いている。初めて訪れたのは20年以上も前のことだ。隣 国の首都、クアラルンプールからシンガポールに入ったとき、妙に人造的な街の雰囲気にどこかうすら寒いものを感じた。カジノもマリーナ・ベイ・サンズもナ イトサファリもまだ無かった時代。赤道直下の底抜けに明るい南国の空の下、マーライオンが思いのほかシャビーだったことを思い出す。口から水を吐いていた かは覚えていない。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆