「激変」続く米金融政策見通し
FOMC(米連邦公開市場委員会)の金融政策見通しの急変が続いている。これほどの急変ぶりでは、「ビハインド・ザ・カーブ(後手に回る)」批判を受けるのも当然ではないか。そして、「ビハインド・ザ・カーブ」を巻き返す急激な金融政策の変更は、金融市場の混乱をもたらす可能性があることを過去の歴史が示しているだけに、今後の影響は要注意だろう。
FOMCでは、2012年よりメンバーの政策金利などの見通しを匿名で公表する、「ドット・チャート」と呼ばれる制度が始まり、原則としてそれを四半期に一度、3、6、9、12月のFOMC終了後に公表している。
改めて、この「ドット・チャート」を振り返ると、2021年3月までは2023年末まで利上げなしが大半の見通しだった。そして6月の「ドット・チャート」で、2023年中に2回の利上げが示唆されたことで初めて、金融市場も超金融緩和政策の見直しを現実的に意識し始めるところとなった。それにしても、半年前ですら、利上げの開始はあくまで2023年に入ってからとの見方が基本だったわけだ。
そして9月の「ドット・チャート」でも、2022年中の利上げはまだ半々といった見方だった。それが、2021年12月の「ドット・チャート」で、2022年中に3回の利上げ見通しが基本となった。最近のFOMCメンバーの発言によると、3月利上げ開始がほぼ既定路線のようになり、年内4回の利上げ見通しも出ていることから、まだ利上げ見通しの前倒しは続いているようだ。
以上、「ドット・チャート」を中心に、改めてこの一年のFOMCの金融政策見通しを振り返ってみると、凄まじい急変ということになるのではないか。とくに、パウエルFRB(米連邦準備制度理事会)議長が「インフレは一時的」との見解を撤回してからこの2ヶ月余りでは、利上げ開始時期の前倒し、利上げ回数の引き上げは拍車がかかっている。果たして、これほどの金融政策見通しの「激変」を、金融市場の混乱なく消化できるのだろうか。
今回のケースとは事情は異なるものの、日銀が「ビハインド・ザ・カーブ」の巻き返しに動いた2つの例を確認してみたい。1つは1980年代後半、そしてもう1つは1990年末。ともに金融緩和見直しが後手に回った「影の主役」は円高だった。
1980年代後半は、いわゆる「プラザ合意」を受けた円高が止まらなくなり、さらなる円高を招きかねない金融引き締めへの転換が遅れた。これを挽回するために、利上げを急ぐ中で、1990年からバブル崩壊と呼ばれた日本株の大暴落が起こった。
1990年末も円高、さらにはY2K(コンピューター2000年問題)などでゼロ金利解除が遅れ、今から振り返ると、2000年春からすでにITバブル崩壊が始まっていたにもかかわらず、2000年8月にゼロ金利解除に動くと、世界的な株暴落をダメ押しする結果となってしまった。
後手に回ったことの挽回で、金融政策の変更はどうしてもハイペースになる。果たしてそれを金融市場が混乱を招くことなく消化できるかが今後の焦点となるだろう。