18日のNY、それを受けた19日の東京で、テーパリングが年内にも始まるかもしれないという思惑から株式市場が動揺した。19日の日経新聞は夕刊の1面でこう報じている。

米連邦準備理事会(FRB)は18日、7月の米連邦公開市場委員会(FOMC)の議事要旨を公開した。米国債などを買い入れる量的緩和の縮小(テーパリング)開始について議論し、「ほとんどの参加者が今年中に購入額の減額を始めることが適当」と判断した。FRBが大規模緩和の修正へと具体的に動き出す。

<「ほとんどの参加者が今年中に購入額の減額を始めることが適当」と判断した>。これが決め手となった。なぜなら、ドットチャートや連銀幹部の発言から察するに、テーパリングの開始時期についてはFRB内部の意見は割れておりまだコンセンサスが固まっていないと見られていた。それが「ほとんどの」参加者が判断したなら、FRB内部も「年内開始」で固まったと見るのが妥当 ‐ 市場はそう思ったのかもしれない。(「かもしれない」というのは、本当かどうか市場に訊いてみないとわからないからだ。)

<「ほとんどの参加者が今年中に購入額の減額を始めることが適当」と判断した>という一文は、それこそ「ほとんどの」メディアが引用しているが、ざっと見たところ、正しい日本語訳を掲載しているところはない。メディアのひとたちが、英語ができないわけはないので、あえて、意図的に誤訳を載せているのだろう。

その部分の原文はこう記されている。

Looking ahead, most participants noted that, provided that the economy were to evolve broadly as they anticipated, they judged that it could be appropriate to start reducing the pace of asset purchases this year

most participants とあるので「ほとんどの参加者」だ。これは正しい。だが、問題はそこではない。僕は中学生の娘に、口が酸っぱくなるほど言っている ‐ 英語は主語と述語(動詞)だと。

この文章の主語はmost participantsであるが、述語は何か。noted である。most participantsがnote した、ということだ。Note は動詞の場合、第一に「書き留める(すなわちノートをとる)」という意味だが、言及する、述べるという意味もある。ニュアンス的には注意を促すように言及する、「ご留意ください」という感じだ。most participants noted thatというのはmost participants がthat以下のことを述べた、ということだ。訳すと、「ほとんどの参加者からthat以下の発言があった」ということである。

では「that以下のこと」は何か。それは「(再び新たな)that以下のことを(ことと)判断する」 ということだ。これは過去のことなので「時制の一致」により、「judge」が過去形になっているが、note (発言)したのが過去だから、judgeも過去になっているだけで、「判断する」という現在形の意味だ。訳すと、「ほとんどの参加者が、『~であると判断する』と述べた、発言した」である。

that以下のことというのはit could be appropriate 「それは適切となり得る」で形式主語itはto start reducing the pace of asset purchases this year 「今年、資産購入のペースを縮小することを始めること」を指す。

問題はここからで、そう「判断する」には条件がある。provided thatというのは仮定法の条件節である。「~という条件で」「~というようになれば」という仮定の話をするときに使う。さらにthe economy were to evolve broadly as they anticipated(経済が期待した通りに幅広く進展すれば)とここでもまたwere toという仮定法が使われている。普通はprovided that だけで仮定法条件節を成すので、これでじゅうぶんなのに、あえてまたwere toという仮定法を重ねている。つまり、これは「バリバリ仮定の話なんですよ!」というのを強調しているのだ。

正しい翻訳は、「経済が期待した通りに幅広く進展すれば、今年中に購入額の減額を始めることが適当となり得ると判断する、とほとんどの参加者が述べた」である。「判断した」のではない。「~という状況になれば…と判断するのが適切だ、と述べた」のである。これはAならばBと言ったに過ぎず、そのAはBと判断するに必要十分条件だから、AならばBは、ほとんどトートロジーのようなものである。こんなことは、何も言っていないに等しい。AならばB、であるなら、「ほとんどの」参加者ではなく、「すべての」参加者が言及してもおかしくはない。ただ、そんな言わずもがなのことを言わなかったひともいたのだろう、だからAll「全員」ではなくmost「ほとんどの」なのであろう。

結論から言えば、この一文は無意味である。なんの情報性もない。仮定が強過ぎるからだ。市場にテーパリングの年内開始の可能性を頭出しするものだ、との解釈も聞かれるが、頭出し(予告)と実行は当然異なり、開始の時期は従来通り、今後のデータ次第でいかようにも変わり得る。

ただ問題は、市場が「9月決定・11月の縮小開始」をメインシナリオとして織り込んでしまっているということだ。これは9月初旬に発表される8月の雇用統計をメチャクチャ重要なイベントにしてしまった。NFPはまだ9月の段階ではテーパリングの決定に足るような水準には届かないだろう。7月30日付レポートで書いたことだが、前回、リーマンショックからの回復時、バーナンキがテーパリングを示唆してテーパータントラムを起こした2013年5月の時点では、実は雇用者数減少のボトムからは3年も経過し、雇用者数はリーマンショック発生の2008年9月の水準にほぼ並んでいた。テーパリングを決めた13年12月はその水準を上回っていた。それに比べると、仮に今回9月に決めるとなると、だいぶ見切り発車となる。

しかもデルタ株のまん延やすでに景気のピークアウトもささやかれている状況だ。果たして9月の雇用統計でFRBはテーパリングを決定できるか、甚だ疑問である。そもそもNFPという統計は非常にブレやすい。本来、2,3カ月の数字で労働市場の趨勢を判断できるものではない。

僕は「9月決定・11月の縮小開始」の可能性は低いと見込んでいる。逆に言えば、このシナリオは狂う可能性が高い。ストラテジーとしては、市場が「9月決定・11月の縮小開始」をメインシナリオと見て「緩和相場の終焉を警戒(日本経済新聞8/19グローバルマーケット)」して売りでアクションを起こすなら、その反対のことがいずれ起こるほうに賭けるのが得策だろう。