外交手段とビジネス感覚
ロシア財務省が「政府系ファンドで米ドル保有高をゼロにし、ユーロ、金、人民元にシフトすることを計画」といった一部報道を受けて3日、米ドルは一時急落する場面があった。このように、為替相場を外交手段に使うようなケースは、これまでも決して珍しくなかったが、ではそれは実際の相場にどう影響したか。
私自身、最も印象的だったのは1995年のケースだ。当時は「ポスト冷戦」、米クリントン政権の下、日米貿易不均衡是正に積極的な取り組みが進む中で、為替レートは米ドル安・円高が大きく進んでいた。その意味では、まさに為替相場は外交手段の1つとなっていた。
こういった中で米ドル/円は、1995年に入り、1米ドル=100円を大きく下回り始めると、日本の政治家の中では、米国に米ドル防衛意識を喚起させるべく、米ドル下落リスクを訴えるといった考え方が浮上してきた。「日本が米ドルを売ったら米ドルは暴落しかねない。それでもいいのか!?」といった感覚だろう。
その当時の対米外交の「密使」の一人に大手証券首脳がいたので、直接本人に話を聞いたことがあったが、それに対する回答がとても印象的だった。その首脳は私にこう言った。「当時米ドルはすでに長く下落していた。そんな中で米ドルを売るなら、底値で売ることになりかねない。金融市場に長く関わってきた自分からすると、それは出来ないというのが本音だった」。
この言葉が示すように、当時の米ドル/円は5年MA(移動平均線)を3割も下回り、経験的には記録的な「下がり過ぎ」だった(図表1参照)。ビジネス感覚からすると、このような「下がり過ぎ」では、さらに売るという判断に躊躇したのは自然なところだろう。
以上を踏まえると、「外交カード」として為替相場を使う場合も、相場状況の影響があるということ。今回の場合に合わせるなら、「米ドルを売る」ということが、米国に対するブラフになるか、そしてそれ以上に米ドル相場に影響するかは、足元の米ドル相場の状況次第ということになるのではないか。
そんな「足元の米ドル相場の状況」、それはユーロ/米ドルの5年MAからのかい離率で見た場合、極端ではないものの、2010年代前半以来のユーロ高・米ドル安に傾斜した状況になっているようだ(図表2参照)。別な言い方をすると、ユーロが「上がり過ぎ」気味ということだ。
ちなみに、金相場も5年MAからのかい離率で見ると、こちらもなお「上がり過ぎ」圏にあるようだ(図表3参照)。
外交ではなく、ビジネス感覚からすると、「上がり過ぎ」のものは売りやすいが、「下がり過ぎ」のものを売ることは慎重になるだろう。これまで見てきたことからすると、5年MAとの関係で見た場合、ユーロも金も相対的には「上がり過ぎ」気味のようだ。そうであるなら、米ドルを売って、そんなユーロや金を買う動きには自ずと限度があるのではないか。