最近私が書いているのは、FRB(米連邦準備制度理事会)の10月にかけての3回連続利下げは、1998年の3カ月連続利下げを意識した面があった、そして1998年の場合、3カ月連続利下げの後から、後にITバブルと呼ばれる株高大相場が、1999年にかけて展開することになったので、今回の場合も、新たなバブルの大相場が始まっている可能性を注目しているということです。

ところで、そんな1999年は、実はドラマティックな出来事が相次いだ年でもあったので、今回はそれについて少し述べてみたいと思います。

1999年のスタートの時点でまず注目されたのは日本を始めとした世界的な長期金利急騰でした。前年11月頃から始まった日本の長期金利急騰は、年をまたぎ、この1999年に持ち越された形となったのです。長期金利急騰、言い換えれば債券価格の急落は、債券を大量に保有する日本の金融機関に大打撃を与えかねない様相となったのです。

そんな長期金利急騰に歯止めをかけるべく日銀が行った金融政策こそが、先進国史上初のゼロ金利政策でした。この日本の究極の金融緩和を横にらみしながら、為替相場は米ドル高・円安が120円を超えて進むところとなりました。そういった中で、FRBは前年9-11月の利下げから利上げに転換するところとなりました。

当時の日銀の中には、この米利上げについて、緊急避難措置の解除と位置付ける考え方がありました。それは、ゼロ金利政策という日銀の緊急避難措置の解除の理由にもなるはずとして、ゼロ金利解除という「利上げ」を模索したのです。ところが、これは未遂に終わります。日本のゼロ金利解除という「利上げ」の前に立ちはだかったのは円高だったのでしょう。

上述のように、1999年の為替相場は前半こそ米ドル高・円安が120円を超えるまで進んだものの、年央から米ドル安・円高に転換しました。これに対して日本の通貨当局は円高阻止の米ドル買い介入に出動、その指揮をとったのは、「ミスター円」として異例の有名財務官となった榊原英資氏から、夏の人事異動で交代した黒田新財務官、いうまでもなく現在の黒田日銀総裁だったのです。

黒田財務官(当時)が指揮する米ドル買い介入にもかかわらず、米ドル/円は続落、100円割れに迫る動きとなりました。円高が進む中で、それを後押ししかねない日本の利上げなどとてもできないとなったことでしょう。

FRBは淡々と利上げし、一方日本は緊急避難措置のはずのゼロ金利の解除すらできない、そういった中でナスダック指数を先頭に、ITバブルの株高はクライマックスに向かっていったのです。

そんな1999年と、来年2020年は「保険的利下げ」がもたらすバブルという意味で類似しそうですが、株高とは別に、長期金利上昇の影響も注意すべきではないかと私は考えています。