10月まで、世界経済は悲観的な材料が目白押しだった。その中では、米国株が最高値圏で推移する中でもFRB(米連邦準備制度理事会)が3度目の利下げを行うとしていることに対する反対は、ほとんど目立たなかった。そういった中で、FRBは淡々と3度目の利下げに踏み切った。しかしその後から、バブルのクライマックスに向かう株高が始まったのである。

これは、10月末のFRB利下げ前後のマーケットを巡る動きを解説したものではなく、21年前、1998年11月のFRB利下げ前後のマーケットを巡る動きを解説したものです。

敢えて確認する必要があるほど、最近と21年前には類似点が少なくありません。1998年は、前年に発生したアジア通貨危機が続く中で始まりました。日本は、この年の後半に大手証券などの破綻が相次ぐなど金融危機の様相となっていったのです。

こういった中で、米国経済は比較的好調を維持していました。それは、当時のグリーンスパンFRB議長の次の発言からも確認できるでしょう。「米国経済だけが繁栄のオアシスで居続けられるのだろうか」。

この発言があったのは、1998年9月のことでしたが、結果的にはその後の事態を見事に予見したかのようになっていったのです。1つのきっかけは、8月のロシア通貨、ルーブルの突然の切り下げでした。これが一因となり、ノーベル経済学賞受賞の2人の学者中心に運営されていた「最強のヘッジファンド」、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)が巨額損失を抱えたことが間もなく表面化したのです。

このヘッジファンド危機をきっかけに、信用不安が急拡大する中で、FRBは利下げに踏み切りました。しかし10月に入ると、ブラジルなど中南米の金融不安も急浮上します。そういった中で、10月初め、ワシントンで開かれた国際会議の冒頭、グリーンスパンFRB議長は次のような異例の挨拶を行いました。

「モーニング。普通、このような席での挨拶はグッド・モーニングとするところだが、今の私はとてもグッドという言葉を使う気にはなれない」。

金融不安が広がる中、やがて為替相場も大混乱となりました。それまで140円程度で推移していた米ドル/円は、10月6-8日のたった3日間で30円近い大暴落となったのです。大手ヘッジファンドが大量の米ドル買いポジションで含み損を抱え、それを投げ売りに動くとの懸念が、一気に米ドル売りを爆発させた形となったのです。

こういった中で、FRBは10月に緊急利下げに踏み切ります。すると、徐々に金融不安は落ち着きを取り戻し、米国株も最高値圏に戻すところとなりました。それでも、FRBは11月、金融不安の鎮静化でダメを押すかのように3度目の利下げに踏み切ったのです。

これにより、世界経済の懸念はシャットアウトされました。そして、それにとどまらず、世界経済は1999年にかけて新たなバブル、その後「ITバブル」と呼ばれることになる動きが始まるところとなったのです。

振り返ると、国内景気は好調な中でも、国外の混乱に巻き込まれることを食い止めるべく、FRBが「保険的利下げ」に踏み切ったことが、バブルがクライマックスに向かう背中を押した可能性があったのではないでしょうか。

21年前と最近では、いくつかの類似点があります。とくに、国内では景気回復が続く中でも、「保険的利下げ」に踏み切り、世界経済の懸念も一段落した後、米国中心に新たな「バブル」が始まっている可能性は大いに注目されるところでしょう。