◆僕には尊敬するストラテジストの先輩が二人いた。「いた」と書いたのは、二人とも他界されているからだ。ひとりは元モルガン・スタンレーのストラテジストで晩年ヘッジファンドのトラクシス・パートナーズを創設したバートン・ビッグズ氏。もうひとりは、羽賀誠さん。前マネックス証券チーフ・ストラテジスト、つまり僕の前任者である。

◆羽賀さんと僕とは共通点が多い。ファンドマネージャーとしてバイサイド(資産運用会社)を渡り歩いた。長年培った経験をもとに自らヘッジファンドを立ち上げた。酒を愛する1963年生まれ、歳も一緒だった。違うのは、人間嫌いの僕に対して、羽賀さんは人懐っこい笑顔で誰に対しても朗らかに接し、そして誰からも愛されたことである。

◆羽賀さんとは生前、一度も面識はないが、書かれたレポートを読めば、羽賀さんがどんな思いで職を全うしていたか手に取るようにわかる。彼が何を思い、どんな考えでメッセージを投資家に送っていたのか、同じマーケットで生きてきた者として深く胸に沁みるのである。

◆僕が羽賀さんの後任としてマネックスに入社することが決まった時、僕と羽賀さんの両者を知る共通の友人から「やめろ」と言われた。「大事な友だちを二人も失いたくない」と言われた。相場と投資家に向かい合うプレッシャーで神経をすり減らし寿命を縮めるのだと。相場と投資家、どちらか一方なら耐えられる。だが、マネックスのあのポジションはその双方を同時に相手にしなければならないからだと彼は言った。

◆ファンドマネージャーは失敗すれば自分のパフォーマンスが傷つくだけだ。機関投資家相手のストラテジストは、そもそもお客がプロだから、見通しが外れたところで文句など言われない。ところが個人投資家相手のストラテジストは、お客様も信頼し頼ってくださるだけに、予想が外れた場合、責任を痛切に感じてしまう。お客様の反応もシビアである。営業マンがいる対面の証券会社と違って、ネット証券のストラテジストに対する苦情はダイレクトに来る。誹謗中傷は、ネット特有の匿名性もあって辛辣さを極める。

◆そうしたプレッシャーに耐えながら、羽賀さんは真摯に相場と投資家に対峙していた。絶筆となった5年前のレポートで彼はこう述べている。<様々な不安や不況感がまだまだ喧伝されていますが、投資判断を行ううえでは、企業業績が改善していることに重きを置いて考えることが何よりも大切だと私は思います>。不安というセンチメントに流されず、確固としたファンダメンタルズの変化に目を向けること。それこそが投資で成功する鉄則。しかし、センチメントに流されず、ファンダメンタルズの変化を自信をもってひとに伝えるのは、とても勇気のいることである。

◆僕はマネックス入社以来、一度も羽賀さんのことに触れずに過ごしてきた。羽賀さんの後任として認めてもらえるだけの仕事をできていないと、ずっと思ってきたからである。その思いはまだ残っているが、相応の月日が流れた今、天国の羽賀さんに訊ねてみようと思う。「羽賀さん、僕はあなたの後任として及第点をもらえますか?」

◆過去5年間で株価は8割上昇した。様々な不安や不況感を突き破り、企業業績が大きく改善した結果である。羽賀さんの慧眼が証明されたと言える。羽賀誠という不世出のストラテジストがこの世を去ってから今日で丸5年。昨日、日経平均は7年7カ月ぶりの高値を再び更新し、リーマン危機前につけた高値にほぼ並んだ。株式市場も羽賀さんの命日に彼を偲んで花を手向けているに違いない。僕にはそう思えてならなかった。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆