2019年6月、金融審議会市場ワーキング・グループの報告書が発表され、メディアで取り上げられたのが「老後2000万円問題」でした。65歳以上の無職世帯において、公的年金の平均受給額と生活費の平均の差額が月額マイナス5万円強あり、それが30年続いた場合2000万円程度の資産が必要になる、というものでした。記憶に残っている方も多いはずです。
この点に関して、多くの識者が2000万円の妥当性などについて見解を発表しています。しかし、私がより気になるのは、4年以上経過した今、「老後2000万円問題」が、現在の60代の「お金との向き合い方」にどんな影響を与えているのかということです。
フィンウェル研究所が毎年行っているアンケート調査「60代6000人の声」の2023年調査で、この点をお聞きしました。結果は、思った以上に「老後2000万円問題」が現在の60代のお金に対する考え方に影響を与えているという印象でした。なお、アンケート調査は人口30万人以上の都道府県庁所在都市に住む60代の方で、回答者数は6503人です。
6割が「老後2000万円問題」を内容まで理解
まずは、「老後2000万円問題」の認知度です。「老後2000万円問題がどんな内容だったかご存じですか」という設問で、選択肢は、①議論の内容を分かっている②言葉は聞いたことがあるが、意味はよく分からない③聞いたことはない、の3つで選んでいただきました。
グラフでは、その回答者の比率を示していますが、「議論の内容を分かっている」と答えた人が6割に達していることから、かなり多くの60代がその議論を承知していることがわかります。
また別の設問で世帯保有金額を聞いており、これを使って選択肢毎の世帯保有資産平均を計算してみました。その結果は、内容を理解している人ほど、その残高が大きいことがわかります。逆の目線で見れば、保有資産額の多い人ほど議論の内容に関心があったのかもしれません。「議論の内容を分かっている」と回答した人の保有資産平均額は2871万円強で、平均ではあるものの、2000万円以上を保有していることになります。
「2000万円という金額」が主な評価軸、「それでは足りない」との意見が多い
次に聞いたのが「老後2000万円問題」の評価です。先の設問で「聞いたことがない」と回答した人を除いた6050人を対象に、6つの選択肢から選んでもらいました。グラフの凡例に選択肢は書いていますが、そのうち3つが老後の資金と年金の問題として捉えたもので、残り3つは2000万円という金額の評価を捉えたものとして並列に並べ、どれか1つを選ぶ方式としました。
「老後2000万円問題」を2000万円という金額の視点で評価している人は、過半数の52.7%になっています。やはり「2000万円という金額」が評価をする大きなポイントになっていたことがわかります。そのうち、「2000万円では足りない」と答えた人が26.8%、「2000万円くらい必要」が14.8%、「2000万円も必要ない」が12.1%でしたので、「それでは足りない」との意見が相対的に多いこともわかりました。
一方、金額そのものではなく、「老後に“年金以外に多額の資産が必要”であること」にポイントを置いて評価した人は47%弱でした。そのなかで、27.7%と多くを占めたのが「年金がしっかりしなければならないのに、その結果を個人に押し付けることは納得できない」との指摘でした。これは当時のマスコミの取り上げたポイントのひとつで、ちょうど参議院選挙の最中だったこともあり、意識的に取り上げられていた点でもありました。ただ、12.8%の回答者が「老後の生活資金を考えるきっかけになった」と前向きな評価をしており、批判的な指摘ばかりではないことも見て取れます。
保有資産の多い層が総じてポジティブに評価
なお、それぞれの選択肢を選んだ人の世帯保有資産平均も計算してみましたが、総じて保有資産の多い層がポジティブな評価をしていることがわかります。また、そこには自己を肯定的に見る評価軸があるようにも思われました。
例えば「2000万円では足りない」と評価した人の世帯保有資産平均は3600万円強で、逆に「2000万円も必要ない」と評価した人の世帯保有資産平均は1765万円です。「それでは足りないと思ったことで3600万円までに資産を積み上げた」と努力の成果を想定することは、少し難しいように思われます。それよりも、2000万円以上の資産を保有している人が「2000万円では足りない」と評価し、2000万円以下の資産額の人は「そんなに必要ない」と考えているとすれば、現状を肯定するような姿勢を見て取ることができます。
2000万円を超えると満足度上昇にブレーキ
もう少し分析を進めてみます。今回のアンケートでは、生活全般の満足度、仕事・やりがいの満足度、健康水準の満足度、人間関係の満足度、そして資産水準に対する満足度について5段階で聞いています(満足してないが1点で、満足しているが5点)。
そのうち、生活全般の満足度と資産水準に対する満足度を、保有している資産額別に集計して平均値を分布図にしてみました。その形状からわかることは、以下の3点です。
①ほぼすべての世帯保有資産額帯で生活全般の満足度の方が資産水準の満足度を上回る
②世帯保有資産額が増えると、どちらの満足度も上昇する
③ただし世帯保有資産2000万円くらい以下のところでは資産額の上昇に対する満足度の上昇は大きいが、それを超えるとその傾きが緩やかになる(2000万円あたりのところで凸型)
「生活全般の満足度はお金だけではない」姿も浮かび上がる
まず少しほっとするのは、生活全般の満足度の方が、資産水準の満足度よりも上位にあることです。例えば、保有資産2000万円以下のゾーンを見てみましょう。資産水準に対する満足度は中庸(どちらでもない)の3点を下回って「どちらかといえば満足できない」水準になっていますが、それ以外の満足度の貢献もあり、生活全般の満足度を見ると3点を上回っています。「お金には満足していないが、それでも生活全般では満足している」といった姿を示していることから、「お金がなくても満足な生活はできる」と見ることができます。
資産額2000万円が60代にとっての分岐点になった可能性も
ただ、一方で、②と③からわかることは、60代にとって、資産額が増えるほど資産水準に対する満足度も生活に対する満足度も上昇するものの、その満足度の上昇スピードは2000万円あたりに屈折点があることです。資産額2000万円が60代にとって満足度の分岐点になっているように推測されます。
これはもしかすると「老後2000万円問題」が、今の60代に対して大きな影響を与え、満足度を図る基準になったことを示すものかもしれません。ご承知の通り、退職後に必要となる資産額はそれぞれの生活パターンに大きく依存しますから、一律に2000万円と決めつけられるものではありません。にもかかわらず、こうして分析してみると、2000万円に分岐点があることで、「老後2000万円問題」が何かしらの影響力があったともうかがわれます。これこそ、「老後2000万円問題」の後遺症と言っていいものかもしれません。われわれはこの呪縛から自ら逃れる必要があります。