◆今日はお盆の迎え火。ご先祖様が迷わず帰ってこられるように火を焚く。子供のころ、母方の郷里で夏休みを過ごしたことがあった。お盆になると墓にご先祖様を迎えに行き、提灯を燈して家まで帰る。以前、小欄で「人魂を見たことがある」と書いたのは、その時の記憶である。
◆火は神や心霊的なものと結びついて崇拝の対象とされてきた。お盆の迎え火・送り火もそのひとつであるし、多くの宗教儀式では火が使われる。元来、火は神聖なものなのだ。
◆また今年も終戦記念日が巡ってくる。69年前の夏を僕らの世代は知らない。日本中が焦土と化した夏を知らない。写真、映像、伝聞など記録として知ることはできるが、その記憶を持つひとは年々少なくなる。
◆学徒動員を経験した父は、東京で空襲にあった。焼夷弾の炎のなかを逃げ回り、焼け落ちた家に戻ると、地下壕に隠しておいたわずかな食糧も黒焦げになっていた。それを見たとき、「ああ日本は負けるのだ」と思ったという。そんな話をしてくれた父が他界してもう20年が経つ。
◆終戦記念日の翌日が送り火なのは偶然か。送り火は、迎え火の反対に、死者の魂があの世へ迷うことなく戻っていけるようにと燈す道標である。69年前の日本では戦火の残り火がそのまま多くの犠牲者への送り火となった。今も世界には火の手があがる地域がある。古来、神聖であるはずの火は、使い方によって鎮魂にも武器にもなる。戦火に焼けた街のひとびとに、優しい火もある、と言っても今は虚しく響くだけだろうか。
マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆