1998年の円安、そして2000年以降の円安

1998年にかけて147円まで米ドル高・円安が進んだ局面におけるテーマは「日本売り」だった。1997年頃から、大手の金融機関の破綻が相次ぎ、不良債権問題への対応のまずさなども重なり日本経済悲観論が急拡大した。そういった中での「止まらない円安」は、まさに日本売り、日本からのキャピタル・フライト(資本逃避)への懸念も拡大させるものだった。

こうした中で、日本の通貨当局は円安阻止の米ドル売り・円買い介入を本格的に行った。1997年11月~1998年6月にかけて断続的に行われた米ドル売り・円買い介入の金額は累計で約4兆円に達した。これは、財務省が為替介入の実績を公表している1991年以降では最大の円買い介入になる。

この1998年は、円安阻止介入を本格的に実施したことからすると、「悪い円安」とみなしていたようにも感じられるが、当時と今回での決定的な違いは物価の状況だった。1998年頃から、日本経済は本格的なデフレ時代が始まった。デフレ局面における金融政策は緩和が基本で、それに伴う通貨安容認が基本だ。しかし、その通貨安が「行き過ぎ」として円安阻止介入に動いたと考えられる。

一方で今回は、欧米ほどではないものの、日本でも物価高が懸念されている。物価高において、通貨安が輸入物価上昇によってそれをさらに悪化させる懸念から、今回は「悪い円安」との不満が拡大している。それは、1998年当時、デフレの下で円安が広がった時以上であり、庶民感覚的にはこれまで経験したことのないほどの「悪い円安」不満になっていそうだ。

2000年以降も、円安局面は何度かあった。2002年にかけて135円までの米ドル高・円安、2007年にかけて124円までの米ドル高・円安、そして2015年にかけて125円までの米ドル高・円安がその代表例だろう。

上記3回の円安局面で重要なのは、1990年代と異なり、円安阻止介入が行われなかったということだろう。それは、1990年代までと打って変わって、円安に対する米国の神経質な反応が目立たなくなった影響が大きかったと考えられる。そしてそれは、日米貿易不均衡問題の一段落が大きいだろう。

実は、米国の貿易赤字は2000年以降も拡大傾向が続いている。ただ、日本はかつてのように世界一の貿易黒字大国ではなくなった。米貿易赤字の観点から、円安に神経質になるといった段階ではなくなっているようだ。

上述のように2000年以降これまで、代表的な円安局面においては日本の通貨当局による円安阻止の米ドル売り・円買い介入は実施されなかった。これは、円安は貿易問題として日米間の政治イシューとなるかが、これまでは重要な目安だったことを示しているだろう。

歴史的円安が展開することを尻目に、日本の貿易収支はむしろこの数ヶ月赤字拡大となっている。その意味では、円安がかつてのように日米間の政治イシューになる可能性は極めて低そうだ。

今、円安が問題になるのは、1998年のケースとも異なり、物価高と同時進行で起こっているといった意味で、すこぶる日本国内からの不満を受けた結果といえるだろう。それは、敢えて例えるなら、40年前、1980年代前半以来の経験といえそうだ。

1980年代前半は、結果的に米インフレ鎮静化に従い、米ドル高・円安も終息に向かった。今回の場合も、少なくともこれまでのところは、「米インフレ動向次第の円安」といった、いわば「他力本願」の展開になっているようだ。40年もの時間が過ぎてもその辺は大きく変わっていないということではないだろうか。