「良い円安」と「悪い円安」

先週から今週にかけて、日本経済にとって、円安の良い影響と悪い影響が、とても分かりやすい形で確認された。「良い影響」は、輸出にとってのプラスということで、大手自動車メーカーなどの過去最高といった利益拡大を後押しした。一方で、16日に発表された企業物価は大きく上昇、その大きな要因は円安に伴う輸入物価の高騰だった。

円安でも円高でも、日本経済にとってプラスマイナス両面があるということを、最近にかけてまさに再確認したといえるだろう。ただそれでもなお、今回は日本経済にとって悪影響の大きい円安といった意味で、「悪い円安」との見方が残りそうなのは、ほぼ40年ぶりの「物価高の中での円安」ということの影響が大きいのではないか。

1980年以降で見ても、大きく円安が進んだ局面は何度かあった。近いところから振り返ると、2015年にかけて125円まで進んだ円安、そして2002年にはさらに135円まで円安となった。また、そのほんの4年前、1998年には147円まで円安となり、さらに1990年には160円まで円安となった(図表参照)。

【図表】米ドル/円の推移 (1980年~)
出所:リフィニティブ社データをもとにマネックス証券が作成

ただ1990年以降の円安は、全て物価安定下で起こったものだった。それどころか、1998年頃から、日本経済はむしろ物価の下落、デフレ時代に入った。円安は、輸入物価上昇を通じ物価高を後押しするため、物価高、インフレ局面で悪影響への懸念が強まるが、そういった組み合わせは、少なくとも過去30年以上なかった。

では、それ以前で、「物価高の中での円安」という経験がいつかと言えば、1980年代前半だろう。1982年にかけて280円程度まで米ドル高・円安となったが、これは1970年代後半の中東ショックなどをきっかけとして起こった世界的なインフレ局面の中での円安であった。最近にかけての「物価高の中での円安」の先例として参考になるのではないか。

この1980年代前半の「物価高の中での円安」では、当時の米政権はインフレ対策を重視、米ドル高に対して不介入、「ビナイン・ネグレクト(優雅なる黙認)」政策を行った。こういった中で、自力での円安阻止の可能性にも迫られた日本政府は、米ドルなど外貨を売却する介入体制強化の一環で、外貨資金の調達を目的とした外貨建て債券、当時の総理大臣の名前から通称「中曽根ボンド」の発行を検討するところとなった。

ただ、この頃の円安、その裏返しである米ドル高は、一方で米国の貿易収支の深刻な悪化をもたらすことになっていった。こういった中で、世界的なインフレが鎮静化すると、世界経済のテーマは、行き過ぎた米ドル高を受けた世界的な貿易不均衡の是正に移った。これを受けて実現したのが、1985年のG5(先進5ヶ国財務相会議)による米ドル安誘導のプラザ合意だった。

さて、米国がインフレ対策を優先する中で、米金利が上昇し、それに連れる米ドル高を容認するのは、ある意味では「新ビナイン・ネグレクト」といってもいいかもしれない。ではこのままさらに米ドル高・円安が進み、日本政府は円買い介入や、それを強化する外貨売り介入体制強化のための外貨建て債券発行、いわゆる「岸田ボンド」発行まで追い込まれることになるだろうか。

1980年代半ば、行き過ぎた米ドル高・円安阻止の切り札は、日本政府の円安阻止介入強化のための「中曽根ボンド」発行ではなく、米ドル高是正のG5プラザ合意に変わった。それは行き過ぎた米ドル高などにより、米国の貿易赤字が急増するなど、世界的な貿易不均衡拡大となった影響が大きかった。

米ドル高・円安阻止へ、日米などの政府の関心が高まるのは、これまで見てきた1980年代の経験を参考にすると、米国の貿易赤字急増、一方で日本の貿易黒字急増といった要因が必要と考えられるが、これらの点については、未だそういった段階に達していない可能性がありそうだ。