◆エスカレーターに乗るとき、立つ位置は決まっている。関東では左側に、大阪などでは右側に立ち、片側を急ぐ人のために空けるのが慣習だ。しかし、これは危険である。エスカレーターを歩く人との接触事故が後を絶たない。そうしたことを受け、ちょうど1カ月前、エスカレーターに立ち止まって乗ることを義務付けた全国初の条例が埼玉県議会で成立した。

◆条例というのは当たり前だが法律だ。破れば法令違反になる。人の行動様式を変えさせるのは容易ではないが法令となれば効果が違うだろう。条例制定に中心的な役割を果たした自民党埼玉県議団の中屋敷慎一政調会長は「これまで利用者へのお願いだけでやってきたが、成果は上がっていない。今回の条例で広域行政が着目することは大きい」と述べている。

◆きのう4都府県に緊急事態宣言が発出された。それに先立つ「まん延防止等重点措置」では感染抑制に効果がないので、より厳しい措置に踏み込んだわけだが、両者の違いがよくわからない。時短要請、休業要請が主な柱だが、いずれにせよ「お願い」である。飲食店や施設は「お願い」に従うとしても、肝心の人々の行動を「お願い」では簡単に変えることができないのはエスカレーターの例を引くまでもない。

◆エスカレーター条例は人々の安全を守るためにルールを法整備したものだ。エスカレーターを歩くのも危険だがコロナはもっと危ない。人々の安全を守るために、どうして法令化ができないのだろうか。自粛要請などという中途半端なことを繰り返すのではなく、もっと思い切った対応をとるべきではないか。同じことを繰り返していては慣れが生じる。今回の緊急事態宣言が解除になっても、再び事態が悪化し4度目、5度目の宣言が出る可能性も否定できないと専門家は指摘する。

◆土曜日の日経新聞は「この1年何をしていたのか」と政府や自治体首長の怠慢を責めたが誰もが首肯するだろう。要は国や自治体が優柔不断なのだ。厳格な対応は代償も大きいし、なにより政治家は世間の不興を買いたくない。今年が衆院選の年であることも関係しているのではと勘繰りたくなる。我が国のコロナ対応の稚拙さは、一種のポピュリズムの表れだ。政治家の態度が煮え切らない。決めきれない政治の典型である。求められているのは、エスカレーターの乗り方よりもまず政治家が自らの立ち位置をはっきり示すことである。