「相続のこと、そろそろ考えなきゃ」と思いながらも、「うちはまだ先のこと」「家族で揉めるはずがない」と、ついつい検討すること自体を先送りにしていないでしょうか。事前の対策をしていなかったばかりに、それまで仲の良かった家族の関係がこじれてしまうという、悲しい事態に至る可能性があります。
本コラムでは、相続紛争の防止策を詳しくお伝えいたします。
「うちは揉めるほど財産がない」という安心が、最も危ない
「相続税がかからないなら、揉めることもないだろう」という考え方が、実は最も危険です。
最高裁判所の司法統計(令和4年度)によると、遺産分割で揉めて調停になったケースのうち、遺産額が5000万円以下のケースが全体の約75%以上を占めています。さらに、1000万円以下のケースだけでも約33%にのぼります。
なぜ、いわゆる普通の家庭が揉めるのか。それは、「遺産のほとんどが自宅(不動産)で、金融資産が少ないため、遺産を平等に分けられないから」ということが大きな原因となっているようです。
1億円の預金があれば、子供二人で5000万円ずつ分けるのは簡単です。しかし、2000万円の価値がある家が一つだけの場合、それを二人でどう分けるのか。この1円単位で分けることのできない資産が、争いの火種になってしまうのです。
ここからは、具体的にトラブルになり得る事例を紹介します。こちらを参考にすれば、実際に家庭に潜むリスクが見えてくるかもしれません。
ケース1:不動産をめぐる「住み続けたい人」と「金銭が欲しい人」の対立
父親が亡くなり、遺産は「実家(評価額2500万円)」と「預貯金1500万円」の総額は4000万円です。長男は実家でお父様と同居していましたが、次男は都内でマンションを購入したばかりというケースです。
◆法定相続分は1/2ずつ(それぞれ2000万円)
●長男の主張: 「私はこの家に住み続けて家を守る。弟には預貯金の半分である750万円を相続させるので、家は諦めてほしい」
●次男の主張: 「750万円では、法律上の自分の取り分2分の1(2000万円)には足りない。家を売ってその売却代金を分けるか、長男が家をもらうなら差額の1250万円(2000万円-750万円)を私に払ってほしい」
上記のケースでは、長男が家に住み続けるには次男が主張している「法定相続分」が壁になり、相続人同士の話し合いが平行線になってしまいます。
遺言書がない場合は、次男が「法律通り半分(2,000万円)ほしい」と主張すると、相続財産である預貯金1500万円に加えて、長男が自分の預貯金から500万円を弟に支払えない限り、家を売るしかありません。
もし、父親が「自宅は長男に、預貯金1500万円は次男に相続させる」のような遺言書を遺していた場合はどうでしょうか。長男は、次男の同意がなくても名義変更が可能となります。遺言書があれば、長男は次男と話し合うことなく、単独で実家の名義を自分に変えることができるのです。
このように、十分な預貯金がある場合でも、遺言書がないだけで相続人からの「きっちり半分に分けたい」という主張によって実家を失うリスクが生じます。
ケース2:介護をした・しないで揉める「寄与分」の争い
長女が10年間、家庭を犠牲にして献身的に父親の介護をしました。一方、長男はほとんど実家に寄り付きませんでした。
●長女の主張: 「私は自分の時間を犠牲にしてお父さんを支えた。その分、遺産を多くもらう権利があるはず(寄与分)」
●長男の主張: 「介護は子供の義務だ、姉はそれを果たしたに過ぎない。遺産は、法律通り半分ずつ分けるのが公平だ」
寄与分が裁判で認められるハードルは非常に高く、単なる身の回りの世話程度では、相続分が増えることは稀です。この場合は、長女の苦労を最も知っていた父親が感謝の気持ちを込めて長女に多めに相続させるというような遺言書(具体的に何を相続させるかを記載)を、事前に弁護士に相談して遺しておくべきケースと言えるでしょう。
ケース3:自筆証書遺言の記載ミスで手続きがストップ
「全財産を妻に相続させる」という丁寧な手書きの遺言。遺言を遺された背景には、ご自身が亡くなった後、奥様とご自身の兄弟(相続人)が遺産分割協議で負担を感じないように、という思いがありました。氏名の自署も捺印も問題ありませんでしたが、唯一日付の書き方が問題となりました。
この場合、実務上、遺言の効力が不安定になります。自筆証書遺言において、日付は「〇年〇月〇日」と特定する必要があります。「吉日」では日が特定できないため、裁判実務では原則として法律上の効力が認められず、無効と判断される可能性が極めて高いです。
「死因贈与」として救済される可能性は?
「遺言としては無効でも、贈与の『契約』として認められないか?」というご質問をいただくことがあります。しかし、死因贈与にはあげる人と、もらう人の合意が必要です。遺言書が遺言者の一方的な意思表示とみなされる場合、後から死因贈与として成立させるのは容易ではなく、他の親族から争われれば、裁判で決着をつけることになりかねません。
銀行や法務局の判断はどうなるか?
実際には、法務局の登記や銀行の手続きにおいて、「吉日」と書かれた遺言書がそのまま受理されるケースが絶対にないとは言い切れません。しかし、専門家としては決しておすすめできません。もし窓口で「日付が特定できないので受け付けられません」と拒否されてしまえば、そこで相続事務がストップしてしまいます。結局、奥様は他の親族(兄弟など)に連絡を取り、遺産分割協議書を作成し、実印と印鑑証明書をもらうために、多大な時間と精神的な負担を負うことになるのです。
公正証書遺言を作成し、相続の負担を減らす
残される人への大切な思いが、たった数文字の書き方で有効かどうか分からない不確かな書類になってしまうのは、あまりにもったいないことです。「この遺言書で本当に大丈夫かな?」という不安を、残された家族に背負わせないためにも、事前に専門家のチェックを受けるか、より確実な公正証書遺言を選ぶことをおすすめします。
ケース4:「借金」を知らずに相続してしまった
亡くなった叔父には配偶者や子がおらず、代襲相続により甥のAさんが相続人になりました。預金が300万円あったので相続手続きを進めましたが、半年後、消費者金融から「500万円の借金があります」という通知が届きました。
マイナスの財産に関するルールの原則と例外
相続は、預貯金や不動産といったプラスの資産だけでなく、借金や未払金などの負債もすべて引き継ぐのが原則です。 法律上、自分が相続人となったことを知ってから3ヶ月以内(熟慮期間)に相続放棄の手続きをしない場合、あるいは遺産の一部を解約・使用してしまった場合には、原則としてすべての債務を引き継ぐことになります(単純承認)。
知らなかった借金が見つかった場合
もっとも、実務上は3ヶ月を過ぎたら一切の救済がないわけではありません。借金の存在を全く知らず、知らなかったことに相当な理由がある場合などは、借金の存在を知ってから3ヶ月以内であれば相続放棄が認められるケースもあります。
ただし、この借金の存在を知らなかったことに相当の理由があると裁判所に認めてもらうための手続きには、状況の精査と、的確な主張をまとめた説明書面の提出が求められます。
迅速な「財産調査」の重要性
このような事態を未然に防ぐには、相続開始直後に、借金の有無を含めた財産調査を徹底することが重要です。
今回は、前編として相続トラブルになりやすい事例や注意点についてまとめました。次回の後編では、円滑な相続を実現するためのさらなる具体的な対策について紹介予定です。
