2兆円の円買い介入でも円安止まらず

円安が広がっている。そして、そんな円安は、物価上昇を後押しする「悪い円安」といった見方が拡大している。ただし、「悪い円安」としても、いざとなるとそれを止めるのも簡単ではなさそうだ。そこで今回は、「止まらない円安」が注目された過去のケースについて、振り返ってみる。

日本において、為替相場が経済の大問題として注目を集めたのは、円高局面が多かっただろう。比較的近いところでは、2011年にかけて1米ドル=75円まで米ドル安・円高が進んだケースだ。1米ドル=100円を超えた円高は「超円高」と呼ばれた(図表参照)。

【図表】米ドル/円と日米の購買力平価 (1973年~)
出所:リフィニティブ社データをもとにマネックス証券が作成

同じく「超円高」と呼ばれたのが、1995年にかけて1米ドル=80円まで米ドル安・円高となったケースだった。そして1985年、「プラザ合意」といった実質的な米ドル切り下げ合意をきっかけに、ほんの1~2年で1米ドル=250円程度から120円まで、米ドル大暴落、円大暴騰となったケース。

以上の3つのケースでは、円高が日本経済を崩壊させかねないとして大騒動となった。これは、日本経済が輸出主導型だった影響が大きかっただろう。円高は基本的に輸出競争力を悪化させる要因である一方、円安は基本的には輸出にとってプラス要因なので、円安の日本経済への悪影響が大きな関心となったことは多くはなかった。

ただし「多くはない」とはいうものの、円安が問題化となった例が皆無だったわけではない。「止まらない円安」の日本経済への悪影響が注目された代表例の1つは、1998年にかけて1米ドル=150円近くまで米ドル高・円安となったケースだろう。

この米ドル高・円安のスタートは、1995年の1米ドル=80円だった。要するに、1995年「超円高」終了から始まった米ドル高・円安が、3年後には一転して「止まらない円安」として懸念されるところとなったわけだ。

これから想像できるのは、この円安の始まりは、基本的には「行き過ぎた円高」の反動だったのだろう。行き過ぎた相場が、その反動で一転して逆方向に行き過ぎるというのはある。加えて、当時は日本経済への悲観論が急拡大していた。1997年以降、大手証券会社や銀行などの経営破綻が相次ぎ、そしてまさにこの頃から物価は基本的にマイナスへ転換し、日本経済のデフレの時代が始まったのだった。

この頃も、1米ドル=120円ぐらいまでは、行き過ぎた円高の是正といった感じで基本的には円安に対して歓迎ムードが強かったが、それが130円、140円といった具合に止まらなくなると、次第に円安阻止を求める声が強くなっていった。

ちなみに、財務省の統計によると、1998年4月、1米ドル=140円を超えたところで、財務省は2兆円以上の米ドル売り・円買いの為替介入に出動した。まさに円安を止めるために、何と2兆円もの円買いに出動したわけだ。しかし、それでも米ドル高・円安は止まらず、1998年の夏にかけてさらに150円に迫るまで米ドル高・円安は続くところとなったのだった。