自民党の総裁に岸田氏が選ばれた。今回の総裁選はいつになく盛り上がったが、その理由の1つに、岸田派以外の各派閥が支持する候補者をまとめきれず、事実上の自主投票になるとみられたからだ。

しかし、蓋を明ければ相変わらず党内の力学で決まった総裁選だった。海外投資家から見れば、国民に人気の高い河野氏が敗れたことで、自民党の派閥政治は変わらないとの失望も一部にあるのは事実だろう。結局、自民党は変化より安定を選んだということだが、市場にとってもここは安定感のある岸田氏に決まって良かったという面もあるだろう。

岸田氏はリベラルな思想をお持ちと思われるが、彼の場合、まずはバランス感覚を重視するだろう。譲るところは譲りながら、徐々に自らの信条を追求していくタイプの人物とみる。そのほうが今の市場にはウエルカムだろう。

なぜなら今の市場を取り巻く外部環境は不確実要因があふれているからだ。原油をはじめコモディティ価格の上昇で、インフレがFEDの見立て通り「一時的」で収まらないリスクが出てきた。テーパリングの年内開始が濃厚となるなか長期金利が上昇し、米国株、特にグロース株が多いナスダックが大きく調整している。

かたや中国では恒大集団の債務問題が懸念されている。負債総額は日本円換算で30兆円を超える。これだけの負債を抱えた企業が破綻すれば過去最大級の規模の破綻となり、影響は測り知れない。債務問題と言えば、米国の債務上限を巡る与野党の対立は続いており、予断を許さない。これだけ外部環境のリスクが高い時期だけに、国内政治は安定感重視、派手さはなくとも、新味に乏しくとも、バランス重視の岸田さんで良かったと言える。

では市場が岸田新政権に期待するものは何か。まずは経済対策だ。軸は、家計・企業への支援、そして医療体制の拡充だ。衆院選挙後に30兆円規模の補正予算を国会ですぐに可決する。間に合わなければ来年度の本予算や来年初の追加補正予算でその不足分を補充するだろう。景気対策はこれで終わらず、来年夏の参院選挙前にも大型経済対策が策定されるだろう。

いずれにせよ、これから(汚い言葉だが)カネがどんどんばらまかれる。しかも緊急事態宣言が明け、行動制限が徐々に解除となる時期に重なる。日本の景気回復期待は世界で見ても非常に高いものになるだろう。株式相場にとっても好材料だ。

ただ、問題は長期の政策の基本姿勢だ。岸田氏は所得再分配、成長と分配の好循環、新自由主義との決別、格差是正を掲げる。その方針は間違っていない。むしろ、世界の潮流にやっと日本が追い付いた感がある。新潮流でも書いたが、僕は昨年の著書で以下のように述べている。「世界が格差是正のための再分配政策を掲げる政治に傾く中で、日本だけが真逆の新自由主義の政治家がトップについた。これは世界の政治の潮流に逆行する動きである」と。だから岸田氏の主張はグローバルに見てもまっとうだと言えるが、その実現にはハードルが高い。まず格差是正は、むしろ拡大する一方で一向に改善していない。

先日、日経新聞に翻訳が掲載されたFT紙の論説「米民主党、格差対策のうそ 主流派が富裕層優遇」という記事は衝撃的だった。米民主党主流のリベラル派は州税と地方税(SALT)の控除を年1万ドルまでとする現在の上限撤廃を成長投資法案に盛り込むよう望んでいるという。記事はこう述べる。

この上限を撤廃すれば、税率の高い州の住民は、州や地方に支払う税額を連邦所得税からまるまる控除できるようになる。SALT控除額上限撤廃で恩恵を受けるのは、ほぼ富裕層だけだ。この減税で連邦政府の税収は年間910億ドル減少する。民主党が今、検討中の富裕層への増税案が実現しても、それで得られる税収増分をすべて消し去っても埋められない額だ。控除額上限撤廃による最富裕層上位0.1%の減税額は平均14万5000ドルに達する。一方、全体の60%を占める中間層の世帯減税額は年間27ドルという。(中略)2017年にトランプ氏の1.5兆ドルの減税法案が成立した際、民主党は格差を拡大させると非難し、多くの支持を集めた。だがこの控除額上限撤廃は、トランプ氏の減税よりはるかに逆累進性が強い。

おそらく、この「格差」という厄介な問題は、西側の民主主義の資本主義国家では是正できない。格差を是正するには一党独裁の中国・共産党のやり方くらいしか機能しないのではないかと思われる。

格差是正に努めるのはよいとして、その方法論をよほど真剣に考えないと、弊害のほうが強くなりかねない。例えば、新自由主義との決別を進めるというのは、規制緩和の推進をも遅らせるのかということになる。本当は規制を緩和し自由競争を促し、退出するべき企業には去ってもらうことも必要だ。

コロナによる企業の経営悪化を防ぐための給付金制度は必要な対策だが、本来なら退場を迫られるようなゾンビ企業も給付金のおかげで延命措置が図られてしまうという点は問題である。産業の新陳代謝が鈍り、日本経済の活力を削ぐことになりかねない。不正受給も後を絶たず相当な数にのぼり、モラルハザードの問題もある。脱・新自由主義を推し進めることで日本の企業・ひと・社会が過保護になり過ぎることは避けるべきだ。

岸田氏は「幅広い国民の所得・給与を引き上げる」と謳う。どうやって賃上げにつなげるか。岸田氏の描く青写真は、看護や介護、保育など政府が主導しやすい分野の所得改善を進め、それを呼び水に賃上げの流れを全国に広げていくというものだ。

「それを呼び水に」というところが甘い。確かに看護や介護、保育などは政府主導で賃上げができるかもしれない。しかし、他の産業では無理だ。官製春闘とまでいわれた安倍政権の介入があっても賃上げの流れは定着しなかった。政府主導の賃上げは、たとえ税制優遇などのインセンティブを与えても難しいだろう。なぜなら労働の対価である賃金は労働者の生産性の高さに応じて決められるべきものだからだ。生産性の向上を伴わず人件費だけ上昇すれば、企業は省力化を進めるだけだろう。

新政権の門出に水を差すことばかり言いたくないが、どうしても粗が目立つ政策である。せめて経済が完全に回復軌道に乗るまでは、財政規律には触れずにいてもらいたい。この点は、高市さんが政調会長という党の重職に就いたので、当面、安泰だろう。