外交とは、本当に難しいものです。うまく行きそうで行かなくなったりしますが、その逆はありません。外交は、誤解ばかりが増長される場のように思われます。だからこそとにかく相手を知ること、理解すること以外に王道はなく、即ち駆け引きでは解決はされず、そして理解を深めるためには、とにかくコミュニケーションを取り続ける以外に方法はないのだと思います。

日米間は、戦争で対峙した当事者同士であるからこそ、中途半端なコミュニケーションではなく、何度も何度も、深く深くコミュニケーションを続けて、今日に至るのでしょう。それは最近の日米貿易交渉などの各論にも大きな基盤を与えていて、そしてまた常に不断のコミュニケーションが取られているので、大きく予想から逸脱した結果にはならないのでしょう。

翻って、日韓関係は、そのような長く深いコミュニケーションが、延いては相手に対する理解が、少なく低いように見えます。本来なら米国以上に、歴史的にずっと長く隣人であったにも関わらず、いやもしかしたらそうだからこそ、どこかコミュニケーションに甘えというか見込み運転的な面があり、理解しているつもりになり、それが誤解を生み、増長させ、次から次に予想から逸脱した結果を招き、しかしそこでコミュニケーションをやり直して理解を深めなければいけないところ、片や感情的になり、片や諦めが出て、コミュニケーションの確立に対する努力が大して行われていない状況に見えます。

このままでは出口はないでしょうね。隣人は引っ越すことがあっても(或いは自分が引っ越すことはあっても)、隣国間には引っ越しはありません。政治が機能しないなら、両国間の留学生を意識的に増やすとか、文化面での交流を増やすとか、回り道でも、とにかく少しでもお互いの、政治的ど真ん中のテーマでない部分でいいので、理解を増やしていくしかないのだと思います。長い道のりであっても、当面はなんら結果の出ないことであっても、未来の世代のために、私たちはそういった努力を惜しんではいけないのだと、そのような思いを強くする、今日この頃です。