◆前回、前々回と2回続けて映画の話を書いた。今回はNetflixのドラマ「ダウンタイム」を観て思ったことを書こう。「ダウンタイム」は、美容整形の世界を舞台にしたドラマである。松岡茉優が演じる形成外科医と、仲里依紗が演じるカリスマ美容外科医。異なる信念を持つ二人を通じて、美しくなりたいと願う人々の思いや、それを取り巻くビジネスが描かれる。

◆美しくなりたいという気持ちは、誰もが持つ自然なものだ。髪を整え、服を選び、人前に出るときには鏡を見る。女性は化粧をする。僕もテレビに出るときはメイクしてもらう。その延長線上にある願いを、手術という手段を選んだ途端に否定するのは、少々乱暴な気がする。ただ、その「美しくなりたい」が誰のためのものなのか。自分のためだと思っていても、そこには他人からよく見られたいという気持ちが混じっている。混じっているどころか、それが「美しくなりたい」動機の大半かもしれない。

◆問題は、満足するための物差しまで、他人に預けてしまうことではないか。誰かに褒められてうれしかったのに、別の誰かの一言で気になり始める。昨日までは満足していた自分の姿が、今日、SNSで見かけた誰かと比べると物足りなくなる。比較する相手はいくらでも現れるから、これでは終わりがない。

◆株式市場は美人投票だと言われる。いや、正確には「美人投票」ゲームである。自分が美人だと思うひとに投票するのではなく、いちばん多くの票を集めるひとを当てるゲームだ。自分の好みより、ほかの参加者の好みを読むことが大事になる。株式市場でも、自分がよいと思う銘柄より、みんなが買うであろう銘柄を探す。そこでふと思う。僕たちは自分の容姿についても、このゲームに参加しているのではないか。自分が好きな自分より、みんなから好かれそうな自分を目指して。

◆企業は自社の価値を説明し、投資家はそれぞれの判断で値段をつける。経営者が「わが社の本当の価値はもっと高い」と思っても、それだけでは株価は上がらない。市場の評価を受け止め、事業や経営を改善する必要がある。しかし、日々の株価を上げることばかりに気を取られると、経営はおかしくなる。目先の利益をよく見せるために、将来に必要な投資を削ってしまえば、一時的に評価されても長続きしない。市場の声を聞くことと、市場の顔色をうかがうことは、似ているようで違う。

◆人間にも通じるところがある。周囲の言葉をきっかけに自分を変え、それで毎日が楽しくなるなら、意味のある変化だろう。一方、褒められるたびに安心し、反応が薄いとまた不安になるようでは、自分の満足がいつも他人の手元にある。もっとも、企業と人間には決定的な違いがある。人間には株価もなければ、全員が共有する評価基準もない。それなのに僕たちは、容姿や年収、肩書、SNSの反応などを使って、自分にも他人にも値札をつけたがる。分かりやすい数字や見た目で比べると、何かが分かったような気になるからだろう。

◆題名の「ダウンタイム」とは、美容医療の施術後、腫れなどが落ち着くまでの回復期間をいう。変わろうと決めても、すぐに望んだ姿になれるわけではない。途中には、人に見せたくない時間もある。その時間を経て、ようやく手にした変化を喜べるならいい。だが、そこでまた他人の評価を待ち始めてしまったら、心はいつ休まるのだろう。

◆自分の価値は自分で決めればよい、と言い切るのは簡単だ。実際には、僕も人の評価が気になる。テレビに出れば、相場の見通しだけでなく、映り具合も気になるのだから、偉そうなことは言えない。劇中、「病気でもない人にメスは入れられない」と反発する文に、凜は「この世界に、病気じゃない人なんていないから」と返す。他人の目が気になる僕にも当てはまる。ただ、メスを入れるなら、顔よりも、人の評価ばかり気にする自分の虚栄心に、である。