幼少の頃、学者である父親の学会のついでに、初めて海外に連れて行ってもらいました。何もかもが良い刺激になりましたが、何しろ当時はドル円が200円台後半。全てが高価だったため、数日間は大学の研究室に寝泊まり。日本から持参したカップヌードルに父の手製の電熱線コイルで沸かしたお湯を注いで食べつなぎました。古い事例過ぎるとは思いますが、あの頃を思い出すと、足元の円安が再び日本人アカデミアの機会を奪わないかと心配になります。

その後、ドル円は乱高下し、1980年前半に円安に振れた際、時の竹下大蔵大臣は「円高大臣と呼ばれたい」とまでつぶやき、国内保険会社や金融機関に、外債購入の自粛要請まで行ったとされます。しかし、いろいろやっても円安は止まらず、ようやく訪れた転機は、言わずと知れた1985年のプラザ合意でした。

同様に、1990年の円安時も、政府高官によるけん制発言や、介入も見られましたが、流れを変えるには至りませんでした。流れを変えたのは、日銀による1%以上の利上げとG7での円安阻止声明です。利上げは、金利差という為替のファンダメンタルズに働きかけ、介入は、投機筋を抑えるという役割です。この両方が整った結果、1990年4月に160円をつけたドル円が、年末には、135円まで下落しました。

ポイントは、強烈な流れを変えるには、過去の例を見る限り、投機筋を抑えることとファンダメンタルズの修正の両方が必要だということです。

このGW中も、再び急激な円安に振れれば、為替介入の可能性は高まるでしょう。場合によっては米国等との協調的な発信も出るかもしれません。

今回の円安が投機筋の行き過ぎのみだと考えるなら、それで流れが変わるかもしれません。しかし、金利水準や期待インフレの違い、コンスタントなドル需要といったファンダメンタルズにも手を入れない限り、戻りは鈍いのではとも思います。落ち着けないGWになりそうですが、大きな流れが変わるのはまだ先になるのでは、と考えて、しっかり休みたいと思います。

※来週の大槻氏のつぶやきはお休みとなりますが、別の担当者が執筆予定です。